おりづるの祈りを 母国語で世界へ
広島平和記念公園にある慰霊碑の中でも、世界中の人々が自ら折ったおりづるとともに平和を願い、原爆の犠牲となった子どもに祈りを捧げる「原爆の子の像」は、たくさんの千羽鶴に囲まれ、平和記念公園のシンボルの一つになっています。
2歳のときに被爆し、10年後に突然、白血病と診断され、8カ月の入院生活の末に亡くなった佐々木禎子さん。その生涯や、禎子さんの思いを引き継いで原爆の子の像を建てた同級生たちの物語を描いた絵本『おりづるの旅 さだこの祈りをのせて』は、2003年に発行されました。約20年経った現在、英語をはじめとする33カ国語に翻訳され、世界中の子どもたちが手に取る一冊となっています。
この本を多言語に翻訳する「サダコの絵本プロジェクト」を立ち上げ、これまでに5000冊近くを世界の子どもたちへ届けてきたのが、NGO団体ANT‐Hiroshima。理事長の渡部朋子(わたなべ・ともこ)さんと、プロジェクトを担当する山本真左美(やまもと・まさみ)さん、石山直子(いしやま・なおこ)さんにお話を伺いました。
左から渡部さん、山本さん、石山さん
「この本の翻訳は、2003年10月にアフガニスタン人の少女アフィファさんと出会ったことがきっかけでした。地雷で片足を失ってしまったアフィファさんの車いすを押して平和公園を周り、『おりづるの旅』の絵本を一緒に見ながら原爆の子の像を案内したんです」と、渡部さんが話してくれます。「そうすると突然、アフィファさんや一緒に来ていたアフガニスタンの映像作家ヌルラ・サイフィさんが泣き始めたんです。『さだこちゃんは、アフガニスタンの子どもたちと一緒だね』って。『この絵本をアフガニスタンの子どもたちにも読ませたい』と、おっしゃってくださったのがスタートでした」。
アフィファさんが平和公園を訪れたときの様子
ANT-Hiroshimaの事務所に保管される多言語に翻訳された絵本
アフガニスタンの子どもたちのために始まった翻訳は、著作権の問題があるため日本語の上に翻訳したシールを貼るという形で出版社から許可をもらい、33カ国語にまで広がりました(2022年5月現在)。なかには、初めて聞くような言語もあります。実際に翻訳業務を担当しているのが山本さんです。
「言葉というのは、その国の人たちの誇りです。私たちは、できるだけ多くの人が母国語で読めるよう、それぞれの言語に翻訳することが大切だと考えています。原作の日本語版は横書きのため左綴じですが、言語によっては右側から読むため、一回本をバラバラにして、リングで右綴じにしているものもあります。でもね、絵本の魅力は、少ない言葉で伝わるだけでなく、絵だけでも子どもたちにしっかりと伝わるということなんですよ。」と言いながら、山本さんが見せてくれたのは、カラフルな1枚のポスター。
レイテ島の中学生が描いたポスター
「フィリピンのレイテ島の中学校で、この本を平和教育に使いたいと要望をいただいたんです。そのときに学校で開かれた絵画コンテストで、生徒が描いてくれた1枚です。悲しみに包まれたベールを1枚剥がすと、世界に愛と平和が訪れるよという思いが込められています。この本の絵を見るだけで、子どもたちにも大切なことがしっかり伝わるんだなと感じることができました」(山本さん)
また、石山さんは、「絵本の文章を翻訳し、それを印刷して一枚ずつ手作業で貼り付けて一冊ずつ本を仕上げています。翻訳はそれぞれの言葉が使えるボランティアの方々。たくさんの方に手伝っていただいて、この本ができているんですよ」と、絵本の翻訳がすべて人の手と、世界の子どもたちに贈りたいという気持ちで行われていることを教えてくれました。
絵本の一場面
今でも戦争や紛争が続いている国があります。そういった国々にもなんとかして絵本を届けたいという思いから、プロジェクトのメンバーが現地まで本を持って行くこともあります。また、各国の大使やNGOの人たちが、それぞれ手渡しで現地まで運んでくれることもあります。たくさんの人の手を介して、子どもたちに届けられているのです。
そして、実はこの絵本は、原爆の子の像が建てられたところでストーリーが終わるわけではありません。禎子さんの物語が世界の各地に届けられ、歌や平和のモニュメントがつくられたという物語。まさに、おりづるが世界中の人たちの手によって旅をし、平和の輪が広がっているかのようです。
一人でも多くの子どもたちにこの物語が届くよう、これからも翻訳言語を増やしていくそうです。
※絵本のお問い合わせ、ご購入などはANT‐Hiroshimaまで
ANT-Hiroshima
TEL:082‐502-6304
住所:広島市中区上八丁堀8-14 安芸リーガルビル5F
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