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国際平和拠点ひろしま

広島発祥のスポーツから 平和への願いを込めて

戦後の広島で生まれ、全国に広まっていったスポーツ、エスキーテニス。50代以上の方は、その名前を聞いてピンと来る方も多いかもしれません。エスキーテニス誕生の裏側にある、平和への願いについて、お話を伺いました。

エスキーテニスが誕生したのは、1948年8月6日のこと。広島に原爆が投下されたちょうど3年後のことでした。この日、中区基町にあった広島児童文化会館前の広場において、エスキーテニス誕生大会が開催されたそうです。そしてこの大会を機に、翌年の1949年には広島県の小学校体育の指導要項で5年生以上の教材に採用され、1951年には文部省が発行する「社会体育指導要項」においても紹介されました。こうしてエスキーテニスは、まずは教育現場を中心として全国へと次第に普及していくようになったのです。

戦後間もない広島で、このエスキーテニスを考案したのは、広島の実業家であった宇野本 信(うのもと・まこと 写真中央羽織袴姿)さん。

基本的なルールの制定や、用具の開発・整備・配布までも自ら行い、エスキーテニスの発展に尽力されました。当初は「ハネツキテニス」とも呼ばれていましたが、原爆被害からの復興にあたり、広島市を平和の発信地とするための構想の一部にあった「Education, Science and Culture  Institute(教育科学文化研究所)」の頭文字「ESCI」を取って、エスキーテニスと正式に命名されました。これは考案者の宇野本さんが提唱する「スポーツを通じて平和に寄与する」という考え方にも合致した、親しみやすいネーミングとなったのです。

「どんなスポーツかと聞かれると、テニスと卓球とバドミントンを足して3で割ったようなスポーツだといつも答えています。誰でもすぐに楽しめるのに、80歳のシニアプレイヤーに大学生が勝てないほど、戦略性や奥深さもあるのがエスキーテニスの魅力ではないでしょうか」と話してくださったのは、日本エスキーテニス連盟の八剣 学(やつるぎ・まなぶ 写真右)さん。ご自身も大学生の時にエスキーテニスに出会い、競技を楽しみながらエスキーテニスの普及に尽力されています。

その横で子どもたちがエスキーテニスを楽しむ姿を眺めているのが、同連盟の宇野本 翼(うのもと・つばさ 写真左)さん。考案者・宇野本 信さんのひ孫にあたる方です。

「曾祖父は焼野原になった広島で、このスポーツを考案しました。原爆で自分の娘を亡くし、その無念を抱きながら、スポーツができる平和の大切さを伝えたいという思いも込めてエスキーテニスを考えたそうです」

そこから宇野本家は代々、エスキーテニス普及のために用具や競技環境の整備、その魅力を伝える活動を続けられています。

羽根の付いたスポンジボールを、卓球ラケットよりも2回りほど大きい木製ラケットで打ち合うエスキーテニス。高度経済成長期には、誰もがこぞってこのスポーツに興じていたと八剣さんは言います。

「狭い場所でも、誰でも短時間に手軽に楽しめることから、昼休みのスポーツとして広がり、みんな夢中だった時代がありました。県庁や企業の中庭などには、エスキーテニスコートが何面も造られていたほどでした」

「私たちは、このスポーツを次の世代へと繋いでいくため、より多くの人たちと一緒に楽しめたらと考えています。あそこでラケットを持っているのが私の子ども、5代目ですね」と、笑う宇野本さん。

「あの日広島で起こった悲劇、スポーツができる平和の大切さ、エスキーテニスに込められた思いといったことを考えるのは、エスキーテニスを存分に楽しんだ後でもいい。このスポーツが、それらを考える一つのきっかけや入り口になれるのであれば」というのが、お二人の共通したお考えでした。 広島で生まれ発展し、現在もなお続く平和のシンボル的なエスキーテニス。競技の魅力はもちろん、その由来や誕生した背景を知りながら、多くの方にぜひチャレンジしていただきたいスポーツです。

日本エスキーテニス連盟

TEL:082‐251‐1436

住所:広島市南区出島2‐10‐18

HP:https://www.esci.jp/

Twitter:@HiroshimaesciT(広島県エスキーテニス連盟)

※エスキーテニスを一度プレイしてみたい方は、上記へご連絡いただくか、広島市東区新牛田公園内のエスキーテニスコートは無料で利用できますので、公園管理センター(082-224-2543)へご連絡ください

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