被爆時の町と人々の暮らしを教えてくれる 「被爆遺構展示館」
広島平和記念資料館北側に位置する「被爆遺構展示館」。原子爆弾による被害の爪痕が残る住居跡や道路跡を露出展示しています。展示館整備のきっかけとなったのは、「被爆遺構を通じ、平和記念公園を訪れる人たちに、この地にはかつて多くの人が暮らす町が存在し、その日常が一発の原子爆弾により一瞬にして奪われたことを知ってもらいたい」という願い。平和への思いをよりいっそう深くしてほしいと、広島市によって整備され、2022年3月に開館しました。
被爆前の中島町の様子(野口巖氏提供、「広島平和記念資料館」所蔵)
被爆前、平和記念公園一帯は「中島地区」と呼ばれる、商店や映画館などが並ぶ広島随一の繁華街でした。特に現在被爆遺構展示館の建っている辺りは、「天神町筋」という多数の民家が軒を連ねていた場所。
平和記念公園自体は、被爆後、爆風や熱線で破壊された家々のがれきを片付け、平坦化し、土入れ・整地された土地の上に成り立っているため、地下に多くの遺構が眠っているだろうことは容易に予測されました。2019年から土地の調査を開始したところ、地面から60~90cm程度掘り下げた地中に、被爆当時の民家や道路跡などが見つかったのです。
被爆前の天神町筋の様子(三田茂氏提供、「広島平和記念資料館」所蔵)
露出展示されている被爆遺構
被爆遺構展示館ではその一部を公開。館内に入ると、かつて、多くの人々がこの地で暮らしを営んでいたことが伝わってきます。隣家との境界を示す石材列、生活排水が流れていたであろう側溝……。さらに強烈な熱線により瞬時に炭化してしまった家屋内の畳のレプリカなどが配されていて、一発の原子爆弾が、一瞬にして人々の日常を奪い去ってしまったことが分かります。石材は当時のものであることから、人々の生活と息づかいがリアルに胸に迫ります。
被爆遺構展示館入口。左右の縁石の間の道はかつての天神町筋
また、展示館入口の道幅は、およそ5m。ここはかつての天神町筋だそうです。さらに館内の遺構をよく見てみると、側溝に接地する道路部分にはアスファルトが用いられていることが分かります。当時の道は、舗装されていない道路が主流だった時代。中島地区や天神町筋がどれほど栄えていたかが伝わります。
そのほか、館内には被爆前の町並みや原子爆弾による被害、被爆の証言などが、映像やパネルで展示されているので、遺構と併せて目を通せば、当時のことがより深く理解できるはずです。
被爆の実相や被爆前の街の様子などが解説された映像(左)とパネル
被爆遺構は時間と共に劣化してしまいます。炭化した畳や板材の部分がレプリカになっているのもそのためで、レプリカの下には劣化が進んだ本物の畳等が埋まっているそうです。遺構を保護するため、建物は直射日光が入らない構造になっており、屋根や外壁には遮断熱シートなどを使用、外気の侵入を防ぎ、調湿性能のある建築材が使われています。また館内にはセンサーが設置され、温度や湿度などが管理されています。見学時には必ず館内のルールを守り、貴重な被爆遺構を大切に守っていきましょう。
黒く見える部分が炭化した畳のレプリカ
開館から5カ月が経った8月末時点で、来館者は3万3000人を突破。県内外問わず多くの人が訪れ、「改めて原爆の恐ろしさを知りました」「露出展示しているので当時の人々の暮らしが肌で感じられ、胸が痛くなりました。平和な世界を守っていきたいと強く思います」というような声が寄せられています。
この地にあったかつての暮らし、それらが理不尽に奪われてしまったこと、そして被爆後の市民たちが、たゆまぬ努力により平和で美しい町を復興してきたこと……。これらの歴史に思いを寄せて、今一度、核兵器の非人道性や平和について考えてみてはいかがでしょうか。
【DATA】
被爆遺構展示館
住所:広島市中区中島町 平和記念公園内
TEL:082-242-7831(広島市市民局国際平和推進部平和推進課)
開館時間:8:30~18:00(3~7月、9~11月)
8:30~19:00(8月 ※5、6日は20:00閉館)
8:30~17:00(12~2月)
※被爆遺構の保存のため、モニタリング等を実施する場合は、入場を制限することがあります。モニタリングの日程は以下のHPでご確認ください。
休館日:12月30・31日
入館料:無料
HP:https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/atomicbomb-peace/260788.html
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