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国際平和拠点ひろしま

東京 2020 オリンピック聖火リレー 聖火ランナーインタビュー

 東京2020オリンピックの聖火リレーは新型コロナウイルス感染拡大のため、公道での走行を中止してセレブレーション会場における点火セレモニーという形で開催された。広島市でセレモニーが行われたのは5月17日(月)、平和記念公園にて。今回は参加者のうち4名に、セレモニーに参加した理由やオリンピックへの期待感について語ってもらった。

梶矢文昭(81歳:「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」事務局長)

 私は原爆被爆者です。6歳の時に被爆しました。たくさんの人が逃げて行くのを見ました。道端にはたくさんの人が死んでいました。私はさきほど聖火ランナーを務めましたが、同じ火でも76年前のそれは地獄の火です。一方、今日私が手にした火は平和の火です。私は亡くなった多くの被爆者に祈りの気持ちを込め、このような平和が続いていくよう祈りを込めてセレモニーに臨みました。
 私は「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」で活動すると共に、原爆資料館で被爆体験の証言も行っています。そんな私が聖火リレーに応募したのは、核兵器の使用は広島と長崎で終わりにしなければならないと世界中に伝えるためです。平和が続いているので忘れがちですが、次に核兵器を使用すれば人類は滅亡の危機を迎えます。私は被爆者として「3度目の核兵器の使用は絶対許してはいけない」と強く訴えたいです。
 難しい状況であることは承知していますが、私はオリンピックを開催してほしいと思います。オリンピックは世界をつなぐ平和の祭典として重要なものです。やはりなんらかの形で世界が東も西も集まって、ひとつの競技をやることは大事なことだと思うのです。

中谷雄英(79歳:東京1964オリンピック柔道金メダリスト)

 私は聖火ランナーというものにそれほど期待してなかったのですが、今は「来てよかったな」と思っています。トーチの炎が回ってくるまでの間、自分が選手として参加した1964年の東京オリンピックのことが走馬灯のように浮かんできました。思い出したのは、金メダルを獲って日の丸が上がった瞬間です。
 僕は被爆者ではないけど、小学校1年生の時に広島に来て、街が焼け野原から復興していく様子を見てきました。オリンピックはスポーツだけでなく平和の祭典でもあります。こうした平和の輪が世界中に広がっていくことを望みます。
 ただ、僕は選手も経験しているので、オリンピックが開催されるだけではなく、好成績をあげることも期待しています。特に柔道には頑張ってもらいたい。参加した選手全員がメダルを獲るくらいの活躍を楽しみにしています。

大崎萌々香(15歳:西日本豪雨で被災した坂中学校の陸上部員)

 私が聖火ランナーに選ばれたのは2年前。本来聖火リレーは1年前の今日、行われるはずでした。それが1年延期になり、走れるかどうかもわからなくなって……そんな中で無事に走れたのですごく嬉しいです。
 私は坂町のみなさんに恩返しをするために走りたいと思ったんです。2018年7月、坂町は西日本豪雨で大きな被害を受けました。私の家に土砂は入ってこなかったけど、隣の公園は海のようになりました。その時、それまで当たり前にすごしてきた日々が当たり前じゃないと改めて感じました。
 当時は坂町にもボランティアの方がたくさん来て、その中には海外の方もおられました。私は国を超えてボランティアに行くという行動に驚きと感謝を感じました。今回は坂町が被災時から着実に前に進んでいることをアピールできればと思います。
 オリンピックに関しては、コロナウイルス感染症の影響で十分に練習できていない選手も多いと思います。だけど私も含めた聖火ランナーの想いが選手のみなさんにパワーとして届いて、少しでもいい結果が出れば嬉しいです!

山下蒼太(14歳:西日本豪雨で被災した坂中学校の陸上部員)

 すごく緊張したけど、今日の自分には100点をあげていいと思います。元気や勇気、希望を伝えられたと思うので。今日はそれを伝えるため、笑顔で元気よくやろうと決めていました。
 聖火リレーのことは西日本豪雨で被災した後、学校の先生が教えてくれました。僕の家は大雨で泥や水が入って、全壊してしまったんです。それで一時は辛い気持ちでしたが、聖火ランナーに選ばれたことで周りの人が「元気出して!」って言ってくれて。それをきっかけに気持ちを切り替えて、未来に向かって歩んでいこうと思えたんです。僕がこうしたイベントに出ることで、被災地が復興している現状を伝えられたらと思います。
 聖火リレーを体験できることなんて一生に一度あるかないかの経験です。だけどもしまた次に日本でオリンピックがあったら、今度こそ地元の坂町を堂々と走りたいですね。

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