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国際平和拠点ひろしま

「私たちが知ること・伝えること」 ~中国新聞ジュニアライターの活動~

 2007年から毎年、広島の地元紙である中国新聞社が公募している「中国新聞ジュニアライター」。これまでに約170人が巣立っています。発足当初は『ひろしま国 10代がつくる平和新聞』という、本紙内における月1~2回の特集ページの企画・取材・執筆を、中高生が担うものでした。現在も特集タイトルは変わったものの、基本的な内容は受け継がれ、精力的に活動を続けています。今回は、現役ジュニアライターの方たちに、詳しい活動内容や取材執筆にかける思いなどを伺ってきました。

 現在、23名が在籍するジュニアライター。その記事は月1~2回、『ジュニアライターがゆく』というタイトルで、中国新聞に掲載されています。原爆や核兵器の被害、差別と貧困、国際協力などの中から、取り上げたいテーマや個々の意見を集め、取材対象や記事の切り口といったことまで、大人の担当記者と相談しながら決定していきます。また、被爆者と会って体験を直接聞く取材も続けており、月1回『記憶を受け継ぐ』というタイトルの記事で掲載されています。

 「私は広島市内の小学校の出身で、学校でも原爆について学ぶ機会がたくさんありました。中学生になって、今度は自分から平和について発信できることがあればと思ったのが、ジュニアライターを始めるきっかけでした」と、中学1年生の秋から活動を始めた山瀬ちひろさん(やませ・ちひろ、 15歳)が話してくれました。
 中島優野さん(なかしま・ゆうの、15歳)も、「学校生活で平和や原爆について学ぶ機会はあっても、それを自分で発信していく機会はあまりないので、記事を通して少しでも人に影響を与えられることはうれしいです。友だちに見られるのは、まだ恥ずかしいけど、家族とかに読んだよとか言われると、頑張ってよかったと思えます」と、自ら発信できることの喜びを感じているようです。

中国新聞ジュニアライター、右から中島優野さん、桂 一葉さん、岡島由奈さん、山瀬ちひろさん

 話を聞いていると、ジュニアライターの活動を通して得られるものは、取材執筆を行い、悲惨な原爆の被害を知る人たちが本当に伝えたい思いを一生懸命に受け止め、発信してやりがいを感じることなのだと伝わってきます。
 「最初は取材するだけ、文章を書くだけで精一杯。だんだんと、取材をしてお話を伺う方の思いを、どうすればより多くの人に伝えられるかといったことを考えられるようになってきました」と、岡島由奈さん(おかじま・ゆな、17歳)。山瀬さんも「被爆者の方は、話す熱量がとってもすごいんです。今話しておかなければという気持ちもあると思います。その熱量を文章でどう伝えていくかじっくりと考えるようになったし、反対に、取材したその場で話を聞きながら情報を整理していく力がついてきました」と、ジュニアライターの活動を通して成長した点を教えてくれます。

原爆が落とされた直後から負傷者が次々と運ばれた広島市の沖合にある似島を取材(2021年)

 「原爆が落ちた時、私たちは実際にはいませんでした。被爆者の方のお話しを伺い、そのイメージをたよりに、当時の様子を想像するしかないんです。だから人の話を聞く時には、今までにも増して『共感力』を大事にしないといけないと気づかされました。相手の立場だったら自分はどう動くだろうとか……たとえば、自分の親が目の前で亡くなっているのに、逃げろ!と言われたら自分はどうするのかとか」と話してくれたのは、約5年間と、現役ジュニアライターの中で一番長く活動している桂 一葉さん(かつら・ひとは、17歳)。取材で感じた自分の思いだけでなく、被爆者の方の立場に立った時の思いを伝えていくことが大切だと感じるようになったそうです。

被爆からわずか3日後に街を走った「一番電車」の車掌を務めた笹口里子さん(取材当時90歳)から体験を聞く(2021年)

被爆者の寺前妙子さん(取材当時90歳)から体験を聞く(2020年)

 また、たくさんの取材執筆を通して得たものは、自らの行動にも変化をもたらたしています。岡島さんはジュニアライターだけでなく、毎年8月6日に行われる灯ろう流しのボランティアなどにも参加しているそうです。「被爆者の方に話しを聞くことができるのは、本当に私たちの世代が最後だと思うんです。だからどんな話でも聞きたいし、それを伝えていきたいです。取材を通して人との繋がりができたり、たくさんの平和活動を知ることもできます。取材だけで終わらない、興味があることには積極的に参加していくようになりました」と話してくれました。

 コロナ禍で、なかなか思うように取材を進めることはできませんが、それでも伝えたい、発信したいという熱い思いは変わりません。
 「外国の方にも話を聞くと、やはり原爆や平和について価値観が違うこともあります。その相違を知ることができるだけでも、ジュニアライターをやっていてよかったなと思います。そういった外国の方はもちろん、被爆者の方たちのたくさんの生の声を届けていきたいです」と話す山瀬さんは、広島や日本だけでなく、広島に訪れる各国の人たちの思いを世界中へ伝えていきたいそうです。
 桂さんは、「こんな場所でも被爆した人がいるんだとか、知られていない被爆の実態をもっと伝えたいです。そして、今まで得てきた知識をもとに、なぜ原爆がダメなのか、紛争を止めるためには、戦争をなくすためにはといった、いろんな問題を考えていきたいです。自分だからできることは何かを、大人になっても考え続けていきたいなと思っています」と、ジュニアライターの経験を通して、これから自分がやるべきことに、しっかりと目を向けています。

 被爆地の新聞社だからこそできるジュニアライターとその育成。中国新聞社としては、ジュニアライターでの経験を通して、平和について多角的に考える機会を提供したい、という思いもあるそうです。
 被爆という広島の歴史を、子どもたちの目を通して見つめ、たくさんの思いが込められた中国新聞特集記事『ジュニアライターがゆく』を、一度ご覧になってはいかがでしょう。

中国新聞ジュニアライター(ヒロシマ平和メディアセンター)
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?post_type=junior

中国新聞社
https://www.chugoku-np.co.jp/

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