建物コラム⑥;「旧日本銀行広島支店」
広島市の中心部、鯉城通りに面して建つ、歴史ある銀行建築です。戦前の広島では陸軍関係を中心に国庫金の出納があったため、1905年に日本銀行広島出張所が開設されて1911年に支店に昇格し、1936年に建てられた二代目の支店が現在残る建物です。1992年に支店が基町に移転するまで使用されました。
この建物は、一見するだけで歴史のありそうな洋風の建物だと分かります。こういったスタイルは歴史主義とも呼ばれ、重厚さや西洋らしさが求められる銀行建築で多用されました。同様の建物は戦後の広島にも多く残っていましたが、次々に解体され、ついに本作を残すのみとなりました。
まずは正面の外観をじっくりと観察してみましょう。本作はルネサンス様式を基調としており、左右対称で四角の窓が等間隔に並ぶことで、均整のとれた美しさを見せつつも落ち着いた印象を与えます。歴史主義建築らしさを感じさせる列柱は中央の4本のみで、ギリシャ神殿のような独立した柱ではなく、壁と一体化した付柱となっています。装飾としては、イオニア式の柱頭装飾、4つのメダリオン、正面玄関の庇を支える繰型、壁面の飾板などが挙げられますが、同じくルネサンス様式をベースとする旧三井銀行広島支店(補注1)と比べても控えめな印象を受けます。本作が建った1930年代では既に歴史主義建築が時代遅れになりつつあったことがうかがえます。
建物正面の外壁には装飾が施されている
西洋の歴史的な建物は石造やレンガ造が大半ですが、本作は鉄筋コンクリート造の壁の外側に石を貼って石造のように見せています。列柱の基部より下は粗面積みといい、ゴツゴツした石が表現されています。正面玄関が少し高い場所にあるのは、おそらく当時の広島で頻発した洪水対策でしょう。窓枠は、当初のものは残っていないようですが、西洋に由来する上げ下げ式になっており、往時の雰囲気をとどめています。
続いて室内に入ってみます。玄関をくぐると大きな吹き抜けの客だまりと事務室があり、奥には支店長室や会議室・食堂などの部屋が配され、金庫室は地下にあります。当時の銀行建築として一般的な形です。また、内装の一部が焼失することなく残っており、客だまりの内壁、旧支店長室の寄木フローリング、金庫室の扉などを間近に見ることができます。
大きな吹き抜け
客だまりの内壁
寄木のフローリングが残る
吹き抜け周辺以外では装飾は少ない
今この建物を見ると、原爆ドームのように崩壊した箇所もなく、本当に被爆建物なのだろうかと感じられるかもしれません。ですが決して無傷だったのではなく、被爆時の強烈な爆風や火災によってダメージを負っています。建物自体は鉄筋コンクリートで強固に作られていたので爆風の直撃に耐えたものの、窓は吹き飛び内装の多くが失われ、多くの職員が死傷しました。爆風は建物内を吹き抜け、地下金庫の鉄格子さえも大破させています。また、鎧戸を開けていた3階は全焼しました。一方で事務室や金庫が火災を免れたこともあり、被爆2日後にあたる8月8日から店舗を失った11の銀行が共同使用して業務を再開しました。その後も順次復旧工事が行われて機能を回復し、広島の戦後復興を支えました。
※本記事に掲載の写真は筆者撮影
※「広島市指定重要有形文化財旧日本銀行広島支店復原改修工事」の実施に伴い、令和5年3月31日まで休館(予定)
<補注>
(1)建物は現存しませんが当初のデザインが広島アンデルセンの外壁に再現されています。設計を担った建築家 長野宇平治は本作(旧日銀)の設計にも関与したとされています。
<建物DATA>
・所在地:広島県広島市中区袋町5-21
・竣工: 1936年
・設計: 日本銀行臨時建築部
<参考文献>
「ヒロシマの被爆建造物は語る」広島市+被爆建造物調査研究会 1996年
【筆者プロフィール】
高田 真(たかた・まこと)
1978年広島生まれ。都市プランナー。アーキウォーク広島 代表。
建築公開イベントや建築ガイドブック出版などを通して、広島の建築の魅力を発信している。著書『アーキマップ広島』
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