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国際平和拠点ひろしま

Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol1II 広島の復興とは

広島は全国の計115か所の戦災都市の一つとして,国の復興事業の対象となったが,原爆による被害や破壊の内容には,通常兵器の空襲を受けた他の都市と異なる特徴がある。

昭和20(1945)年8月6日の米軍機による原子爆弾の投下で,広島市は壊滅的な打撃を受け,人口の約40%に当たる約14万人がその年のうちに死亡したといわれ2),被爆直前に市内にあった建物7万6,317戸のうち,約92%に当たる7万147戸が倒壊・焼失して使用不能となった3)。また,当時の市の総面積約7,270万平方メートルの約18%に当たる1,325万平方メートルが焼失したが,山林や原野などを除く市の利用面積は約3,300万平方メートルで,その約40%が焦土と化したことになる4)。このように,他都市と比べて圧倒的に高い死亡率や罹災率は,広島の戦災の大きな特徴だ。それ以外にもいくつかの特徴が挙げられる。

まず,米軍による原爆が投下目標をほぼ正確に捕らえた結果,歴史的に城下町として発展し,広島城周辺の都心部に集中して配置された軍事,行政,商業など都市の中枢機能がほぼ完全に消滅した。次に,核兵器が使用されたことから,住民の多くが放射線による被害を受け,原爆固有の被害への対策が,戦後の行政の大きな課題として残った。さらに,明治以降,陸軍第5師団が配置され,日清戦争~第2次世界大戦まで軍事上の重要な機能を持つ「軍都」として発展した広島は,敗戦および旧日本軍の解体と「平和憲法」の下,新たなアイデンティティーを模索する必要に迫られた。これら広島における戦争被害の特徴は,そのまま復興の課題に直結する。「復興」と一口に言っても,さまざまな側面がある。復興のため,行政や経済界,地域住民などを含むコミュニティが一体となり,政治・経済・文化を巻き込んだ多様な営みがなされてきた。その結果,「平和」をアイデンティティーとする今日の広島が徐々に形作られた。その過程を明らかにするためには戦争や原爆で広島の何が失われ,何が新たに生まれたのかをたどる必要があろう。


注・参考文献

2)広島市原爆被害対策部編『原爆被爆者対策事業概要』(平成24年版),15頁。

3)広島市編『広島原爆戦災誌』第1巻,194-195頁。

4)広島市編『広島新史経済編』9頁。

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