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国際平和拠点ひろしま

原子爆弾は原子時代に平和をもたらすか

2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。

「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。

本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。

原子爆弾は原子時代に平和をもたらすか

昭和20.8.7 クリスチャン・サイエンス・モニター紙

[ミシガン州ユニバーシティ・マイクロフィルム社蔵]

個人的なメッセージ

    ロスコー・ドラモンド

ワシントンにて

1945年8月6日,次のふたつのニュースが,日を同じくしてワシントンで報じられた。このことは劇的であり,暗示的であった。

第1次世界大戦を通じて,偉大な,そして最後の孤立主義者であった,カリフォルニア州のヒラム・ジョンソン上院議員が首都ワシントンで死亡した。

トルーマン大統領が,史上最初の原子爆弾が日本に投下されたことを発表した。

政治的孤立主義と原子爆弾とは,1945年——またその後の世界においては共存することができない。その点は今や解決した——危険な解決法ではあったが一部の人には,ルーズベルト大統領はなかなか世間騒がせの人だと思われていた。それは1940年大統領がカンザスシティ市,セントルイス市,シカゴ市の範囲は,爆撃機の爆撃圏内に入るといったためである。

しかし,その1年前に,原子力が軍事的に利用しうるということが大統領の注意をひき,そのために大統領は,その研究を強力に推進するよう特別委員会を任命した。ドイツはすでに原子力の軍事的利用の研究を急いでいた。彼らは失敗した。しかし,民主々義国家側は成功した。原子爆弾の破壊力はまだ知られていないし,その手がかりすらほとんどない。トルーマン大統領は,声明の中で,「太陽の力の源泉となるその元の力が,今や極東に戦いをもたらした者の上に,その威力を発揮した」といっている。「1個の原子爆弾はTNT2万トン相当の力をもち,戦争史上最大の爆弾の威力の二千倍もの力をもつ。・・・・・・現在だんだんと改良も進められ,現在の数倍の威力を持つものが製造されよう。・・・・・・さらに強力なものを開発中である」ともいっている。

恐るべきものを持ったものだ。カンザスシティ,セントルイス,シカゴが爆撃圏内に入るのか?あらゆる大陸の,あらゆる国の,あらゆる地域が,世界のどの地点からも即時,爆撃圏内に入ることになる。原子爆弾は本質的には新奇なものではない,それは現代戦争の論理的な進化の結果である。また,科学的軍事発達の典型でもある。もはや議論の余地のないほど明らかなことであるが,1945年代およびそれ以降には,たとえ想像しうるどのような状態になろうとも,すべての人に平和があるのでなければ,1つの強国のためだけの平和などありえない。原子爆弾と政治的孤立主義は,もはや同一の世界に共存することはできない。

現在は,原子爆弾が平和を愛好する国の手中にのみある。ドイツの発明者たちは遅れをとった。日本の発明家たちも,今となっては遅れをとったことになる。しかし,そのようなものを,平時において長く秘密に保有しておけるといった先例は今までにないことである。

トルーマン大統領は,米国内における原子力の生産と使用を管理する委員会の設立を議会に要請した。そして,「いかに原子力が世界平和維持に強力な影響力になりうるか」について勧告するといっている。

これは指標としては正しいが,一つ明白に認識しておかなければならないのは,議会は米国外での原子力の生産と使用について管理する権限を持たないということである。

昨日の朝,原子爆弾のニュースがワシントンに最初に伝えられたとき,同僚の記者が暗い表情でいった。「1945年8月6日,11時43分に,人類は自らを破滅する手段を与えられた」と。彼は本気であった。

しかし,かならずしもそうなるとは限らないだろう。人間を含むこの宇宙が,真実,原子力により支配されているわけではない。しかし,もし人類が恐るべき危険にさらされ,恐怖にかられることによって,より高い法則——人間性と同胞愛の法則——を選択せざるを得ないときに原子爆弾は,極度の恐怖の中において,人間をして,一つの世界のために,一つの平和か,一つの戦争かの選択を,余儀なくさせる危険物となるのである。

スティムソン長官はいう,「全人類のため数え切れない利益が,究極的にはこのたびの科学分野における新発見から,流れるように生まれるであろう」と。

しかし,今かりに世界の平和がこのまま続くとし,原子爆弾が平和維持のため助けとはならないとしたら,原子爆弾は,平和が守られない場合,いっそう危険な状態をもたらすことになろう。かくして原子力による平和はありえなくなるし,平和運動家の独占物となるような全能の兵器なるものの存在は不可能となろう。

日曜日,広島の上に最初の原子爆弾が投下される以前に行なっていた平和維持のための努力は,依然として推進されなければならない。人間は同胞愛の法則を守るであろうが,それは,そうすることが自然であるために守るのか,恐怖に追われてそうするのかのいずれかである。人類は原子爆弾の恐ろしさをふまえて,真の平和への願いを創造していかなければならない。

 

(小倉 馨訳)

出典 広島県史 原爆資料編

 

 

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