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国際平和拠点ひろしま

原子爆弾への当惑(投書)

2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。

「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。

本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。

原子爆弾への当惑(投書)

昭和20.8.29 クリスチャン・センチュリー紙

[米国議会図書館蔵]

〔1〕

編集長殿

 拝啓 次の文章は私が8月9日,ニューヨーク,トリニティ-教会で行なった説教のなかからのものです。「今後,少なくともアメリカとイギリスの援助のもとで,東洋においてキリスト教の伝道を再びできるかどうか,疑わしい。東洋では,永くアングロ・サクソンの展開してきた外交が,キリスト教をもとにして行なわれてきたというより,抜け目のない帝国主義的便宜主義を基調にしてきていると見られてきた。
 今やアメリカの戦争遂行の仕方は,今までの経験,可能性を絶した,大がかりな冷血,野蛮なものであることを見せつけた。原子爆弾1発で十万人もの人間を無差別に全滅させた。しかもその大部分が民間人,婦人,小さな子供であった。そしてなお,世界がわれわれに恐怖を感じているにもかかわらず,昨日はまた新たに長崎に原爆を投下した。それ自体,軍事的には実行せざるをえなかったものかも知れないが,かくして獲得された勝利は,広く世界道徳的な反発を,その代償として払わなければならなかった。世の中には,敗北よりも悪いものがある。アメリカの宗教と民主々義は,アジア全域をはじめ,その他の地域においても,もはや取り返すことのできないほどに信頼を失なってしまったのである。
 そこでアメリカの何百万というキリスト教徒は,遠い東洋の伝道はさておいて,あまりにも長い間,おろそかにしてきた身近な課題に取り組まねばならなくなった。以前はキリスト教国と名のれたけれど,今日では,政策,行動のうえで,そのようにはいえなくなった。実際この道徳的危機ともいえる2,3日間,わが国のキリスト教指導者たちは沈黙を守ってきたが,その事自体が,アメリカのキリスト教徒の退廃の度合いを示しているのである。また悔い改めのために,これから払わるべき仕事量の大きさを示しているとも云えるだろう。」

プロビデンス市 ロード・アイランド州
バーナード・イディングス・ベル氏

〔2〕

編集長殿

 2日前,原子爆弾のニュースはわが国を揺り動かしたように,ここの基地の将兵をも揺り動かした。驚愕と希望の感嘆があがり,兵舎中に興奮した声がみなぎった。その後は,皆で次々と出るニュースを注意深く追った。そして,今では将兵の反応はおおむね落ちつきを見せ,まとまってきた。
 驚いたことに,わたくしがたくさんの兵隊に質問してみたが,これまでに,この新爆弾の使用について,その正当性を認める者に,1人として出会っていない。これには考えさせられた。一般に,道徳的な深い疑惑の空気がただよっている。兵隊たちが個人的な満足感を見せないとか,誰も彼もが全く同じ気持ちだというつもりはない。ただ,現在全員が同じような気持ちをもっていることが偶然であるとしても,みずから兵役にあり,勝利の日をまってはじめて除隊となり,また,多くの者が爆撃の任務経験あるにもかかわらず,兵隊たちの間に明らかに強い非難の空気がただよっているということを,わたくしはあえて言いたいのだ
 そこで私たちは,一般の世論もこれと同じような方向にまとまりつつあるのではないか,もしそうであれば,原爆の将来の利用に反対して,国民要求(万一国民の意向が問われれば)が出されないものかどうかと考える。
 この問題は,とくに国際法上の問題というより,一般道徳にかかわる問題である。国際法などというものは,ずっと以前から死んだも同様となっている。ドイツが原爆の研究を行ない,その完成をわれわれが恐れている間は,わが方の原爆研究を正当化してきた。そして今やわが国も行きすぎた行為をしてしまったと,ほとんどの兵隊たちは考えているようだ。
 軍法がきわめてきびしいので,私は陸軍の一員としてでなく,また空軍の高級従軍牧師の助手としての資格でもなく,一市民として,また一教会員として,この手紙を書いていることを述べなければならない。また他の将兵の意見を代弁するのも,同様に,市民としての立場からいわせてもらっているのだ。選挙する権利があるということは,ただ選挙を行なうというだけでなく,行動する権利があるということを意味しているものと思う。

カルビン・D・ロリンズ
技術軍曹
オハイオ州・デイトン市・ライトフィールド4000 AAF・BU・F隊

〔3〕

編集長殿

 人間の,自然の力に対する,最も新しく,そして最大の勝利が,一瞬にして,生きた都市を——たとえそれがわれわれの敵側の都市であったとしても——この地球上から抹殺することによって異彩を放ったとすれば,これほど無上の皮肉はあるまい。チャーチルが述べた,原子力の秘密が長い間天の恵みで,人間の手に入らぬよう保留されていた,ということばは,まことに至言である。そして,それが人間の所有物となった今,人間は,これからの将来において,それで何をするというのだろう。なるほど,それを所有していたから,日本との戦争に,早期終結をもたらした。しかし,わが国の空威張りする将軍たちが好んで話題とする「次の」戦争においては,どうなのであろうか。ウィルソン氏のいった「啓蒙されたる人類の良心」なるもののなかに残ったものが,まだ生まれざる新しい国際法を書き上げ,戦争の道具としてのこの恐るべき兵器を法律上禁止することができるだろうか。決心をするときが今や到来した。次のときには,運命は取り返しのつかないことになろう。

W・G・マーティン学部長
シュライナー研究所
テキサス州・カールヴィル

(小倉馨訳)

出典 広島県史 原爆資料編

 

 

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