日本の講和への動き
2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。
「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。
本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。
日本の講和への動き
昭和20.8.10 サン・フランシスコ・クロニクル紙
[カリフォルニア州・ベイ・マイクロフィルム社蔵]
今や,日本政府が連合軍の条件を求めて公式に動いたことは,われわれにはっきりとわかった。7月の中旬,東京政府はソ連に仲介方を依頼した。チャーチル首相,トルーマン大統領は,ともにモスクワからそのことに関し連絡を受けた。彼らはそれを秘密にしていた。それがなぜかはわからないが,そのことは,この水曜日(8月8日のこと),突如モロトフが新聞通信員たちにその事実を洩らしたことにより明らかになった。
しかし,なぜチャーチルとトルーマンが日本の示す提案に注意をはらわなかったか,またそのかわりになぜ7月26日に蒋介石とともに日本に対し無条件降伏を要求する最後通牒を発したかは,理解できることである。
ソ連の然るべき筋を通し仲介を依頼したとき,日本側が受け入れようと考えていた条件なるものは,それが何であろうとも,こちらとしてはとうてい認めることのできるものではなかったことは確かである。彼らには条件がほしかった。彼らの欲した条件は,あちこちの中立国に打診した形跡のなかに正確に影をとどめていることは疑いない。彼らの条件には日本が将来危険をもたらすことはないと充分に保証するものは,どれ一つをとりあげてみても一様になかった。日本は征服への道を断念するといっているが,今一度世界に戦いを始める能力を断念するとはいっていない。日本人が国の再建ができるような条件を望んでいるということは明らかである。それには時間がかかるかも知れないが,われわれの今知るかぎりでは,日本人はこのような問題には相当遠い先の見通しを持つ国民なのである。
日本人の提案は結局のところ現状維持である。完全に降伏させるほか,安全を保証するものは何もない。日本側のいう条件で,われわれが日本の求める講和を受けたならば,アメリカ人の生命が何千と救われただろうという議論は,以前からもそうであったが,依然として的はずれである。そのような講和は,後日,日本とふたたび交戦し,何万というアメリカ人の生命を犠牲にするということを意味するにすぎない。われわれの望む講和とは,日本がふたたび戦う能力を失い,またそのままの状態を続けさせるものでなければならない。
そのような講和は,日本の政府はけっして受けつけないだろう。戦場において日本の軍事力を徹底的に壊滅する以外には,これを日本にのみ込ませる方法はない。
しかし,一方この方法が容易だと簡単に誤解されても困る。現在,新聞の見出しでは日本がひどく打ちのめされているように報じられている。しかし,新聞の見出しというものが戦争をつくり出すものでもないし,また戦争を勝利に導くものでもない。見出しによって錯覚を起こさせることがある。原子爆弾が戦争の経過を短縮することはありうる。しかし,われわれはこの新兵器についてわずかなことしか知っておらず,自信をもって将来を予言することなど不可能である。われわれは,ソ連の参戦によって,アジア大陸での戦争は短縮できると信ずる。しかし,われわれはシベリアの赤軍についてはあまり知識を持ちあわせていないのだが,その赤軍の陸海空の戦闘体制がととのっておらず,訓練もできていなければ,はたして日本本土での戦争を大いに短縮できるかどうか確信は持てない。
日本の本土を思うままに爆撃することができるのか。ソ連の参戦が,また原爆が日本に即刻無条件降伏を納得させるものかどうか,自信がもてない。長い日本の歴史のなかで——中国の歴史を除いて,他のどの国の歴史よりも長く続いたものであり,しかもその歴史のなかでは戦争が絶えず繰返されてきた——日本人は,天皇陛下から国民にいたるまで,降伏よりは死を選んだ。
われわれがこの種の問題を正しく考えることができない理由の一つとして,他のすべての国民が,同じ状態におかれた場合,われわれと同じ行動を取るであろうと想像する習慣がわれわれにはあることが考えられる。この習慣はもちろん,西洋人同士の場合では適用される。今の場合は,西洋人と争っているのではない。日本人との争いでは,違う哲学,違う倫理綱領をもった国民と争っていることに気づかねばならない。すべての事柄において西洋人が行動するようには,日本人は行動しない。2500年間,彼らが教えられてきたものが,そもそも基本的にわれわれのものとは異っているのである。
日本人にとって,降伏は堕落であり,人間喪失である。それもこの現世のみならず,来世にもかかわることなのである。降伏は日本人にとって生きていること自体に価値を失わせるのである。
(小倉 馨訳)
出典 広島県史 原爆資料編
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