法皇庁の原爆観
2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。
「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。
法皇庁の原爆観
昭和20.8.8 シカゴ・トリビューン紙
[大下応氏蔵]
原爆使用に対し,法皇庁は遺憾の意を表明
バチカン市,8月7日,AP電――バチカン市の新聞であるロセルバトーレ・ロマノ紙は本日の紙面において,「日本に投下された原子爆弾は,今大戦下の一連の黙示録的事件の悲劇的終末である」と評した。
また,法皇庁の渉外部は,「日本における原子爆弾の使用に対して遺憾の意を禁じ得ない」という発言を公式見解として引用することを許可した。
エンリコ・プッチ卿のもとにあるバチカン市ニュース公報は,「原子爆弾の開発が公表されたことに法皇庁は重大な関心をよせているが,それは人類殺戮の新兵器が使用されたこと自体よりは,その兵器が人類の将来に投げかける暗欝な影のゆえである」と述べている。
ロセルバトーレ・ロマノ紙は,原子爆弾の開発を16世紀におけるレオナルド・ダ・ビンチの潜水艇の開発と比較し,ダ・ビンチが自己の発見を人類の幸福のために破壊したように,原子爆弾が破壊されなかったことは残念であると主張している。
同紙によれば,「ダ・ビンチは崇高なる思想により死を征したのであるが,彼のごとき宗教的愛を知らぬ世代には死によって死を征する道しか許されていない。この信じられぬくらいの破壊力を持った兵器は,その恐ろしさを学んだ現世代にとっても,歴史の教訓を忘れてしまうかも知れぬ後世の人々にも,危険な誘惑であることに変りない」のである。
(注)ブリタニカ辞典によれば,ダ・ビンチは水面下に長時間滞在することを可能にする方法を知っていたが,人間の悪魔的性格のゆえに,その方法を公開しなかった。
ロセルバトーレ紙は,さらに次のように論評している。
「人類はダ・ビンチのごとき崇高な思想を失い,彼が予測したごとく,激しい感情,憎悪,征服欲の衝動にかりたてられて行動した。今や,最も恐るべき武器がその道具となった。相争う敵同士の間には,常に,激しい,恐ろしい,気狂いじみた競争が存在し,それは地上でも,水上でも,空中でもあらゆるものを巻き込まずにはいないのである」。
(湯浅信之訳)
出典 広島県史 原爆資料編
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