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国際平和拠点ひろしま

平和への至上命令

2020年は広島・長崎に原子爆弾が投下され75年目となります。

「広島県史 原爆資料編」に掲載されている原爆に対する国際的反応:海外の新聞論調を紹介します。1945年8月6日に広島,8月9日に長崎に投下された原子爆弾について海外の新聞はどのように報じたのでしょうか。

本県が進めている国際平和拠点ひろしま構想の趣旨と合致しない論調も含まれますが,原子爆弾投下を海外でどのように伝えたか知っていただくため 「広島県史 原爆資料編」に掲載されている新聞論調をそのまま掲載しています。

平和への至上命令

昭和20.8.7 クリスチャン・サイエンス・モニター紙

[ミシガン州・ユニバーシティ・マイクロフィルム社蔵]

ついに原子爆弾が現実となった。ここ1年間にめまぐるしく起こったさまざまな戦争悲劇によって,われわれはユール・ヴェルヌ・およびバック・ロヂャーズばりの恐怖にはなれてしまったが,それでもなお,「原子爆弾が現実となった」という報道には強い衝撃に呼吸も止まる思いがするのである。

真珠湾を記憶し,シンガポールの陥落,ホンコンの占領の悲劇を知り,ナチの迫害をのがれた人なら誰でも,この恐ろしい原子力の秘密がわれわれの手により開発され,われわれの手に委ねられたことに感謝するであろう。

ドイツの攻撃または侵入を受ける可能性の最も少ない米国において開発され生産されたのであるが,原子爆弾の研究には多くの国の科学者が協力をした。デンマーク・英国,イタリア,ドイツ,米国等が含まれる。皮肉なことに原子爆弾の鍵を解く重要な発見をしたのは,ナチによりドイツを追われたユダヤ人の女性科学者であった。

大統領の発表には,慎重な態度が十分に読みとられるであろう。原子力の平和的利用はすでに考えられていることであるが,その実現は遠い将来のことである。大統領の言葉のなかには日本への警告も強調されてはいるが,それに劣らず,「突然の破壊から米国および世界を守る」義務が力説されている。軍事的に原子力を用いることも,まだ実験的段階を出てはいないのである。

しかし,原子爆弾は大統領の最後通告が真実なものであったことを日本に思い知らせたことであろう。「降伏かしからずんば破壊」という選択を迫ったであろう。原子爆弾の投下により,日本本土への上陸作戦は不必要になったかも知れない。たとえそうでなくても,その犠牲はずっと軽減されたはずである。塹壕や待避壕から自殺行為にも等しい抵抗を続け,絶望のうちにも最後まで日本を守ろうとする軍部の意図を崩すかも知れない武器がはじめて創り出されたのである。

この希望のゆえに,われわれには原爆の誕生を喜ぶことも許されているとも言えよう。酷なる戦争を終結させ,力にのみ依存する者から正義なるものを守る武器が出現したからである。しかし,この秘密はいつまでわれわれの手に委ねられるであろうか。この兵器といえども,人間の発見にほかならない。過去において,火薬も,軍艦も,飛行機も,潜水艇も,すべて侵入者たると,そうでない者とを問わず,共通の武器にならなかったものはなかった。正義なるもののみの武器があるとすれば,聖ミカエルの剣,すなわち,精神的剣を除いて他にあるまい。

この新兵器の出現は世界の協調の一助たるにとどまらず,平和への至上命令である。

平和は不可欠なものであるとして,その達成は武器の増加,新物質の発見によってえられるものではない。われわれが「真の武器は精神的なものである」ことを悟ってはじめて,われわれは真実に身を守りうるであろう。原子爆弾の出現は,その自己破壊力の偉大さのゆえのみならず,その非人道的特質のゆえに,われわれを驚愕せしめ,神の精神を理解することによって真の平和を樹立せねばならぬという自覚をわれわれに植えつけるものであろう。神の精神とは愛と許しのなかにのみ表現されるものなのである。

(湯浅信之訳)

出典 広島県史 原爆資料編

 

 

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