(5) 国家安全保障戦略・政策における核兵器の役割及び重要性の低減
A) 国家安全保障戦略・政策、軍事ドクトリ ンにおける核兵器の役割及び重要性の現状
2010 年代後半になり、大国間競争及び地 政学的競争が顕在化するなかで、核抑止政 策や核ドクトリンの顕著な修正・変更とし て具現化しているとまでは言えないものの、 核保有国は国家安全保障における核兵器の 役割及び重要性を再認識してきている。
2019 年に注目を集めたのは、米国の統合 参謀本部が 6 月にウェブサイトで公開し、 その直後に削除した核指針文書「核作戦」である142。この文書では、必ずしも米国の 核戦略・政策の大幅な変更が打ち出された わけではない。他方で、核抑止の信頼性を 強化するという理由でなされた以下のよう な記述から、米国が核兵器使用の敷居を下 げているのではないか、あるいは核戦争遂 行を企図しているのではないかとの懸念も 指摘された143。
➢ 核兵器の使用は、決定的な結果と戦略 的安定の回復の条件を創出し得る。と りわけ、核兵器の使用は戦闘の範囲を 根本的に変え、司令官が紛争でいかに 勝利するかに影響を与える条件を創出 するであろう (p. III-3)。
➢ おそらく、核紛争において統合部隊が 直面する最大の、またほとんど理解さ れていない挑戦は、核爆発後の放射線 環境下でいかに作戦を遂行するかとい うことである。核の戦場の特別な物理 的・心理的危険や心理的影響の知識は、 そうした危険や影響に対処するための 指導や訓練と相まって、作戦を成功裏 に遂行するための地上軍の能力を大き く向上させる(p. V-2)。
➢ 陸上部隊及び特殊作戦部隊は、核爆発 後の放射線環境下においてもすべての 作戦を遂行する能力を持たなければな らない (p. V-3)。
また、この文書には、「私の推測では、 核兵器は今後 100 年のうちに使用されるだろうが、その使用は、広範囲で制約のない ものというよりも、はるかに小規模で限定 的なものである可能性が高い」という、米 国の核戦略家のカーン(Herman Kahn)が 1970~80 年代に記した一文が引用されてお り、米国がそうした核兵器の使用を強く意 識していることを示唆している。
ロシアは 2010 年代半ば以降、より直截 的な核の威嚇をたびたび行ってきた。2019 年 2 月の年次教書演説でもプーチン大統領 は、米国との高まる緊張関係によって 「1960 年代のキューバミサイル危機のレベ ルにまで対立が高まる理由にはならない」 ものの、「誰かが望むのであれば、受けて 立つ。…(ミサイルの飛翔時間の)秒読み をさせよう」と発言した。また、2 月の米 国による INF 条約脱退通告に対して、プー チン大統領は、米国が欧州に中距離ミサイ ルを再配備することは、「同様の、あるい は非対称な行動措置をロシアに強いるもの」 であり、「直接的に脅威をもたらす場所だ けでなく、我々に脅威を与えるミサイルシ ステムの意思決定センターを含む場所に対 しても使用可能な兵器を作り出し、配備す ることを強いられるであろう」とも発言し た144。ロシアは 10 月に定例の戦略兵器運用 演習「グロム 2019」を実施し、計 16 基の 戦略ミサイルの発射が計画された(2017 年 の演習では 4 基)145。
南アジアでは、2月にカシミール地方の インド側で自爆テロがあり、インドがパキ スタン側にあるイスラム過激派組織の拠点 を空爆したのに対して、パキスタンは核兵 器の使用を示唆して威嚇した146。この危機 ではインドがパキスタンに6発のミサイル を発射すると威嚇し、パキスタンがインド による攻撃には3倍にして報復するとの応 酬も見られた147 。パキスタンのカーン (Imran Khan)首相は9月の国連総会での 演説で、「核保有国が最後まで戦う際には、 国境をはるかに超える結果がもたらされる」 148として、南アジアでの武力衝突が核戦争 にエスカレートする危険性を暗示した。
核兵器の使用可能性が高まりつつあると の危機感を受けて、非核兵器国はNPT準備 委員会や国連総会第一委員会などといった 場で、核リスクの低減に向けた措置、並び に軍事ドクトリンにおける核兵器の役割を 低減するための措置を核保有国などが採る よう、繰り返し求めている。
B) 先行不使用、「唯一の目的」、あるいは 関連ドクトリンに関するコミットメント
核兵器の先行不使用(NFU)、あるいは 核兵器の役割は唯一、敵の核兵器使用を抑 止することだとする「唯一の目的(sole purpose)」に関して、2019年には核保有 国の政策に変化は見られなかった。
5核兵器国のなかでは、中国のみが核兵 器の先行不使用を宣言しており、2019年に もこのコミットメントが国防白書、あるいはNPT準備委員会などで繰り返し確認され た。また、「すべての核兵器国は、核兵器 の先行不使用を約束し、これに関して国際 的な法的文書を締結すべきである」149と主 張している。他方、米国は中国がNFU を適 用する状況についての言説には曖昧性があ るとしている150。
米国はNPR2018で、「米国の核政策及び 戦略の最優先事項は、潜在的な敵によるい かなる規模であれ核攻撃を抑止することで ある。しかしながら、核攻撃の抑止は核兵 器の唯一の目的ではない」とし、米国が核 兵器使用を検討する極端な状況に、戦略的 非核攻撃―米国、同盟国あるいはパートナ ー国の民間人やインフラに対する攻撃、あ るいは米国や同盟国の核戦力、指揮統制、 警報、攻撃評価能力への攻撃など―を挙げた151。これに対して2019年1月、民主党の大統領候補であるウォーレン(Elizabeth Warren)上院議員がスミス(Adam Smith) 下院議員とともに、「核兵器を最初に使用 しないことが米国の政策である」とする 「先行不使用法」案を提出するなど152、民 主党議員から時折、核兵器の先行不使用、 あるいは議会の承認なしでの先行使用の禁 止などに関する法案が提出されている。し かしながら、抑止にかかる米国の決意が揺 らいでいるとの危険なメッセージを敵及び 同盟国に与えかねない、あるいは複雑な国 際情勢下で単純に過ぎる政策だとの批判が 強く、採択には至っていない153。
NPT非締約国のなかでは、インドがNFU を宣言しつつも、インドへの大規模な生 物・化学兵器攻撃に対する核報復オプションを留保している。他方、2019年8月には インドのシン(Rajnath Singh)国防相が、 「インドはNFUのドクトリンを厳格に維持してきた。将来に何が起こるかは、状況次 第である」154と発言した。これに対して、 インドの「コールド・スタート」戦略に対抗する目的で小型核兵器や短距離弾道ミサ イル(SRBM)を取得したパキスタンは155、 先行不使用を宣言せず、通常攻撃に対する 核兵器の使用可能性を排除していない。
C) 消極的安全保証
非核兵器国に対して核兵器の使用または 使用の威嚇をしないという消極的安全保証 (negative security assurances)に関して、 2019 年に政策変更を行った核兵器国はなか った。無条件の供与を一貫して宣言する中国を除き、核兵器国はそうした保証に一定 の条件を付している。このうち英国及び米 国は、NPT に加入し、核不拡散義務を遵守 する非核兵器国に対しては、核兵器の使用 または使用の威嚇を行わないと宣言してい る。ただし英国は、「現状では生物・化学 兵器といった他の大量破壊兵器(WMD) を開発する国からの英国及びその死活的利 益に対する直接的な脅威はないが、そうし た兵器の将来の脅威、発展及び拡散によっ て必要となれば、この保証を再検討する権 利を留保する」156としている。また、米国は NPR2018 で、「重大な戦略的非核攻撃の可能性から、米国は、戦略的非核攻撃技 術の発展や拡散によって当然とされ得るよ うな保証の調整を行う権利を留保する」と 明記した157。
フランスは 2015 年 2 月、NPT 締約国で WMD 不拡散の国際的な義務を尊重する非 核兵器国に対しては核兵器を使用しないと して、その前年に公表したコミットメント を精緻化した。ただしフランスは、消極的 安全保証を含め核態勢にかかる「コミット メントは国連憲章第 51 条の自衛権に影響を 与えるものではない」158との立場を変えて いない。ロシアは、核兵器国と同盟関係に ある非核兵器国による攻撃の場合を除いて、 NPT 締約国である非核兵器国に対して核兵 器の使用または使用の威嚇を行わないとし ている。
消極的安全保証は、非核兵器地帯条約議 定書で定められたものを除き、法的拘束力のある形では非核兵器国に供与されていな い。NAM 諸国を中心とする非核兵器国は NPT 運用検討プロセス、CD、国連総会第 一委員会などの場で、核兵器国に対して法 的拘束力のある安全保証の供与を繰り返し 求めてきた159。なお中国は、無条件の消極 的安全保証を提供する国際的な法的文書を 早期に交渉し締結すべきだと主張している が160、他の 4 核兵器国は一貫して消極的で ある。またフランスは、非核兵器国の安全 の保障に関する 1995 年 4 月の一方的声明 でなされた「コミットメントが法的拘束力 のあるものだと考え、そのように述べてき た」161との立場である。
消極的安全保証は、NPT の文脈で、核兵 器の取得を放棄する非核兵器国がその不平 等性の緩和を目的の 1 つとして、NPT 上の 核兵器国に提供を求めるものであるが、イ ンド、パキスタン及び北朝鮮も同様の宣言 を行っている。2018 年には、これらの国々の宣言に変化はなかった。インドは、「イ ンド領域やインド軍への生物・化学兵器に よる大規模な攻撃の場合、核兵器による報 復のオプションを維持する」としつつ、非 核兵器国への消極的安全保証を宣言してい る。パキスタンは、無条件の消極的安全保 証を宣言してきた。北朝鮮は、「非核兵器 国が侵略や攻撃において核兵器国と連携し ていない限りにおいて」消極的安全保証を提供するとしている。
D) 非核兵器地帯条約議定書への署名・批准
これまでに成立した非核兵器地帯条約に 付属する議定書では、核兵器国が条約締約 国に対して法的拘束力のある消極的安全保 証を提供することが規定されている。しか しながら、表 1-6 に示すように、5 核兵器 国すべての批准を得たのはラテンアメリカ 及びカリブ核兵器禁止条約(トラテロルコ 条約)議定書だけであり、2019 年に新たな 展開は見られなかった。東南アジア非核兵 器地帯条約(バンコク条約)議定書につい ては、核兵器国とバンコク条約締約国との 協議が続けられているという状況は変わっ ておらず、いずれの核兵器国も署名してい ない162。同条約締約国は NPT 準備委員会な どの場で、核兵器国による署名・批准を改めて求めた。
消極的安全保証を規定した非核兵器地帯 条約議定書について、署名や批准の際に留 保や解釈宣言を付す核兵器国がある。 NAM 諸国や NAC などは核兵器国に、非核 兵器地帯条約議定書への留保や一方的解釈 宣言を撤回するよう求めてきた163。また、 トラテロルコ条約締約国も国連総会決議 「ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条 約 ( Treaty for the Prohibition of Nuclear Weapons in Latin America and the Carib- bean)」で、条約議定書の締約国に解釈宣言の見直しを求めた164 。しかしながら、 (無条件の消極的安全保証を認めている中 国を除く)核兵器国が、そうした要求に応 じる兆しは見えない。
E) 拡大核抑止への依存
米国は、NATO 諸国、日本、韓国及び豪 州に拡大核抑止を供与しており、2019 年も その政策に顕著な変化は見られなかった。 このうち米国は、NATO 加盟国のベルギー、 ドイツ、イタリア、オランダ及びトルコ165 に、航空機搭載の重力落下式核爆弾をあわ せて 150 発程度配備するとともに、核計画 グループ(NPG)への加盟国の参加、並び に核兵器を保有しない加盟国による核攻撃 任務への軍事力の提供といった核シェアリ ング(nuclear sharing)を継続している。
欧州 NATO 諸国以外の同盟国の領域には米 国の核兵器は配備されていないが、日米間 では拡大抑止協議、また米韓間では拡大抑 止政策委員会が、それぞれ拡大抑止に関す る協議メカニズムとして設置されている。 また、豪州のパイン・ギャップ(Pine Gap) 情報施設は、米国の核ターゲティングにお いて重要な役割を果たしていると指摘され ている166。
核シェアリング、とりわけ米国による NATO の 5 カ国に対する戦術核配備には、 NPT 第 1 条及び第 2 条違反だとの批判が非 核兵器国よりなされてきた。ロシアも 2019 年 NPT 準備委員会で、核共有は NPT 違反 であるとし、また非核兵器国における核兵 器使用に関する軍事演習を完全に禁止すべ きだとも発言した167。中国も、核兵器国は 核の傘や核共有といった政策を終了し、他 国に配備するすべての核兵器を撤去すべき であると主張した168。
142 Joint Chiefs of Staff, “Joint Publication 3-72: Nuclear Operations,” June 11, 2019.
143 たとえば以下を参照。太田昌克「先鋭化するトランプ核戦略」『世界』2019年9月、153-160頁;JulianBorger, “Nuclear Weapons: Experts Alarmed by New Pentagon ‘War-Fighting’ Doctrine,” Guardian, June 19, 2019, https:// www.theguardian.com/world/2019/jun/19/nuclear-weapons-pentagon-us-military-doctrine.
144 Vladimir Putin, “Presidential Address to Federal Assembly,” February 20, 2019, http://en.kremlin.ru/events/ president/news/59863.
145 “Nuclear Deterrence Ready: Putin Presides over Mega Missile Exercise Involving Submarines, Bombers & Ground Launchers,” RT, October 17, 2019, https://www.rt.com/russia/471143-mega-missile-exercise-russia/.
146 Rahul Bedi, “Pakistan Vows to Respond to India Air Strike at ‘Time of Its Choosing,’” Irish Times, February 26, 2019, https://www.irishtimes.com/news/world/asia-pacific/pakistan-vows-to-respond-to-india-air-strike-at-time- of-its-choosing-1.3806662.
147 Sanjeev Miglani, Drazen Jorgic, “India, Pakistan Threatened to Unleash Missiles at Each Other: Source,” Reuters, March 17, 2019, https://www.reuters.com/article/us-india-kashmir-crisis-insight/india-pakistan-threatened-to- unleash-missiles-at-each-other-sources-idUSKCN1QY03T.
148 “Pakistan’s Khan Warns of All-Out Conflict Amid Rising Tensions over Kashmir; Demands India Lift ‘Inhuman’ Curfew,” UN News, September 27, 2019, https://news.un.org/en/story/2019/09/1047952.
149 NPT/CONF.2020/PC.III/WP40, April 26, 2019.
150 The U.S. Department of Defense, Military and Security Developments Involving the People’s Republic of China 2019, pp. 65-67.
151 NPR 2018, pp. 20-21. NPR には明記されていないが、戦略的非核攻撃は生物・化学攻撃、通常攻撃、さらには サイバー攻撃などを指していると見られている。他方、米国はこれまでも、核兵器以外の手段による攻撃に対する 核兵器の使用可能性を排除してこなかった。
152 Joe Gould, “Warren, Smith Introduce Bill to Bar US from Using Nuclear Weapons First,” Defense News, January 30, 2019, https://www.defensenews.com/congress/2019/01/30/warren-smith-introduce-bill-to-bar-us-from-using- nuclear-weapons-first/.
153 Rebecca Kheel, “Warren’s Pledge to Avoid First Nuclear Strike Sparks Intense Pushback,” Hill, August 4, 2019, https://thehill.com/policy/defense/456006-warrens-pledge-to-avoid-first-nuclear-strike-sparks-intense-pushback などを参照。
154 Sanjeev Miglani, “India Says Committed to ‘No First Use’ of Nuclear Weapons for Now,” Reuters, August 16, 2019, https://www.reuters.com/article/us-india-nuclear/india-says-committed-to-no-first-use-of-nuclear-weapons-for- now-idUSKCN1V613F.
155 “Short-Range Nuclear Weapons to Counter India’s Cold Start Doctrine: Pakistan PM,” Live Mint, September 21, 2017, http://www.livemint.com/Politics/z8zop6Ytu4bPiksPMLW49L/Shortrange-nuclearweapons-to-counter- Indias-cold-start-do.html.
156 NPT/CONF.2015/29, April 22, 2015.
157 NPR 2018, p. 21.
158 NPT/CONF.2015/10, March 12, 2015.
159 NPT/CONF.2020/PC.III/WP15, March 21, 2019.
160 NPT/CONF.2020/PC.III/WP36, April 26, 2019.
161 NPT/CONF.2015/PC.III/14, April 25, 2014.
162 『ひろしまレポート 2016 年版』で述べたように、具体的内容は明らかではないが、核兵器国による留保を巡っ て ASEAN 諸国と議論が続いていることが示唆されている。
163 たとえば、NPT/CONF.2018/WP.19, March 23, 2018.
164 A/RES/74/27, December 12, 2019. 決議は投票なしで採択された。
165 トルコによるロシア製防空システム S-400 の購入や、クルド勢力への軍事攻撃などにより、米・トルコ関係が 悪化するなか、トルコから米国の核兵器を撤去すべきであるとの主張も見られる。たとえば、以下を参照。 John Krzyzaniak, “Getting the Nukes out of Turkey: A How-to Guide,” Bulletin of Atomic Science, October 17, 2019, https://thebulletin.org/2019/10/getting-the-nukes-out-of-turkey-a-how-to-guide/; Steven Pifer, “It’s Time to Get US Nukes out of Turkey,” Brooking, November 5, 2019, https://www.brookings.edu/blog/order-from- chaos/2019/11/05/its-time-to-get-us-nukes-out-of-turkey/.
166 “Pine Gap—An Introduction,” Nautilus Institute, February 21, 2016, https://nautilus.org/publications/books/ australian-forces-abroad/defence-facilities/pine-gap/pine-gap-intro/.
167 NPT/CONF.2020/PC.III/WP6, March 15, 2019.
168 NPT/CONF.2020/PC.III/WP40, April 26, 2019.