序文
『ひろしまレポート2021 年版―核軍縮・核不拡散・核セキュリティを巡る2020 年の動向』(以下、『ひろしまレポート2021 年版』)は、令和2 年度に広島県から委託を受け、(公財)日本国際問題研究所が実施した「ひろしまレポート作成事業」1の調査・研究の成果である。核軍縮、核不拡散及び核セキュリティに関する具体的措置・提案の2020 年の実施状況を取りまとめ、日本語版及び英語版を刊行した。
核兵器廃絶の見通しは依然として立たないばかりか、核兵器を巡る状況は複雑化している。核兵器不拡散条約(NPT)上の5 核兵器国(中国、フランス、ロシア、英国、米国)、他の核保有国(インド、イスラエル、パキスタン)及び北朝鮮は、核兵器を引き続き国家安全保障における不可欠な構成要素と位置づけ、その放棄に向けた具体的な動きは見られない。逆に、程度の差はあれ、核弾頭の増産、核戦力の近代化や運搬手段の更新などといった核抑止の中長期的な維持を見据えた施策を講じている。2019 年の中距離核戦力全廃条約(INF 条約)の失効に続き、2021 年2 月に期限を迎える米露間の新戦略兵器削減条約(新START)の延長問題も、2020 年中には解決しなかった。こうした状況に不満を強める非核兵器国のイニシアティブで2017 年7 月に核兵器禁止条約(TPNW)が成立し、2020年10 月24 日に批准国が50 カ国を超え、2021 年1 月22 日に発効することとなった。しかしながら、これに強く反発する核保有国、並びに核保有国と同盟関係にある非核兵器国(核傘下国)は条約への署名を拒否している。
核不拡散を巡る状況も明るいものではない。北朝鮮の核問題に関しては、2018〜19 年の米朝首脳会談を通じても北朝鮮の非核化に向けた成果をあげられず、核兵器放棄の戦略的決断を下していない北朝鮮は2018 年に宣言した核兵器及び長距離ミサイルの実験モラトリアムも2019 年末に撤回した。北朝鮮による核兵器や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の実験は2020 年も実施されなかったが、2020 年10 月の軍事パレードでは新型のICBM及び潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)を登場させた。他方、イランの核問題では、2018 年に米国が包括的共同行動計画(JCPOA)から一方的に離脱し、対イラン制裁措置を強化したのに対して、イランは2019 年夏にJCPOA の義務の一時履行停止に踏み切り、2020 年もこれを段階的に拡大するとともに、合意の規定を大きく超えて濃縮ウランの貯蔵量を着実に増加させた。
核セキュリティに関する水準向上の取組や支援強化、並びに核セキュリティ関連条約の加入状況は、一定程度進展してきた。特にサイバー攻撃、内部脅威者、並びに技術革新がもたらしうる脅威についての認識が高まるなかで、重点的な取組を行う国が徐々にではあるが増えてきている。他方で、核テロの脅威は引き続き現実の脅威であり、グローバル化の進展とも相まって、核セキュリティは主要国だけでなくすべての国が効果的かつ継続的に取り組むべき重要な課題と位置づけられている。
こうしたなか、核兵器の廃絶に向けた取組を進めるにあたっては、核軍縮、核不拡散、核セキュリティに関する具体的な措置と、これらの措置への各国の取組の現状と問題点を明らかにすることが必要となる。これらを調査・分析して「報告書」及び「評価書」にまとめ、人類史上初の核兵器の惨劇に見舞われた広島から発信することにより、政策決定者、専門家及び市民社会における議論を喚起し、核兵器のない世界に向けた様々な動きを後押しすることが、『ひろしまレポート』の目的である。
各対象国の核軍縮などに向けた取組の状況を調査・分析・評価し、「報告書」及び「評価書」を作成する実施体制として、研究委員会が設置された。同委員会は会合を開催し、それらの内容などにつき議論を行った。
研究委員会のメンバーは下記のとおりである。
主査
市川とみ子(日本国際問題研究所軍縮・科学技術センター所長代行)
研究委員:
秋山信将(一橋大学国際・公共政策大学院教授)
川崎 哲(ピースボート共同代表)
菊地昌廣(前核物質管理センター理事)
黒澤 満(大阪大学名誉教授)
玉井広史(日本原子力研究開発機構核不拡散・核セキュリティ総合支援センター嘱託)
樋川和子(大阪女学院大学教授)
堀部純子(名古屋外国語大学准教授)
水本和実(広島市立大学広島平和研究所教授)
戸﨑洋史(日本国際問題研究所軍縮・科学技術センター主任研究員)(兼幹事)
作成された「報告書」のドラフトに対して、核軍縮、核不拡散及び核セキュリティの分野において第一線で活躍する、下記の国内外の著名な研究者や実務家より貴重なコメント及び指摘を頂いた。
阿部信泰 元国連事務次長(軍縮担当)/前原子力委員会委員
マーク・フィッツパトリック(Mark Fitzpatrick)前国際戦略研究所(IISS)ワシントン事務所長兼不拡散・軍縮プログラム部長
ジョン・シンプソン(John Simpson)サウサンプトン大学名誉教授
鈴木達治郎 長崎大学核兵器廃絶研究センター・副センター長
また、『ひろしまレポート2021 年版』では国内外の有識者に、核軍縮・不拡散問題の動向、並びに展望と課題に関するご寄稿を得た2。記して謝意を表する3。
1 本事業は、広島県が平成23 年に策定した「国際平和拠点ひろしま構想」に基づく取組の1つとして行われたものである。
2 それらの論考は執筆者個人の見解をまとめたものであり、広島県、日本国際問題研究所、並びに執筆者の所属する団体などの意見を表すものではない。
3 加藤優弥、原田怜奈、守谷優希の各氏には本レポート編集作業、並びに国内外の有識者によるご寄稿の翻訳業務に従事して頂いた。期して謝意を表する。