「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは、倫理的命令です。これらは、まさにここ広島において、よりいっそう強く、より普遍的な意味をもちます。この三つには、平和となる道を切り開く力があります。ですから、現在と将来の世代に、ここで起きた出来事の記憶を失わせてはなりません。より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための保証であり起爆剤である記憶、すべての人、わけても国々の運命に対し、今日、特別な役割を負う人たちの良心を目覚めさせられる、広がる力のある記憶、これからの世代に向かって言い続ける助けとなる生きた記憶をです。――二度と繰り返しません、と。」
https://hiroshimaforpeace.com/popemessage-2/
これは,2019年11月24日にローマ教皇フランシスコ台下が広島を訪問された際の平和メッセージの一部です。
原子爆弾が投下された1945年8月6日に広島で被爆した神父がいたのはご存知でしょうか。
今回は,国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催されている企画展「わが命つきるとも-神父たちのヒロシマと復活への道―」について紹介します。
幟町カトリック教会
1936年に建設された幟町カトリック教会は,キリスト教イエズス会の日本における重要な活動拠点でした。原爆が投下された1945年8月6日8時15分には4名の外国人神父がいて,内2名が重傷を負いました。爆心地から約4.5キロに位置する長束修練院(広島市安佐南区)に神父たちがたどり着いたのは,翌7日の4時半ごろだったそうです。
1942年に長束修練院の院長として赴任したアルペ神父は医学の心得があったため,被爆後に修練院で大勢の被災者を救助しました。
神父たちによる救援活動
アルペ神父以外にも救援活動に携わった神父がいました。
この絵は,長束修練院の近辺で動けなくなった人々をルーメル神父とラウレス神父がリヤカーに乗せて救護所まで運んでいる絵です。自らも被爆した神父たちは,同じく被爆した広島の人々の救援活動を行っていました。
復興への道
「広島の復興経験を生かすために-廃墟からの再生-第1巻」に次のような記述があります。
広島市内にある幟町教会の神父フーゴ・ラッサールは,昭和21(1946)年3月,イエズス会総会出席のためローマに旅立った。9月,ローマで教皇ピオ12世に謁見,広島の被爆体験を報告し,世界平和記念聖堂建設の意向を披歴した。教皇は,これに賛意をしめしただけでなく,これを祝福し,聖庁からの協力を約束した。総会後,彼は,ヨーロッパ,北米,南米を歴訪し,広島の惨状を報告し,昭和22年秋,日本に帰国した(『世界平和記念聖堂』)。
https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-51/
現在の世界平和記念聖堂の建設には広島にいた神父たちの尽力があったのです。
2019年にローマ教皇フランシスコ台下が広島で発せられたメッセージに勇気づけられた方もいらっしゃるのではないでしょうか。1945年当時も救援活動に携わる神父,そして,広島の復興のために尽力した神父に勇気づけられた市民も多かったのではないでしょうか。
この企画展は2022年2月28日(月)まで行われていますので,ぜひお立ち寄りください。
企画展について
開催期間:令和3(2021)年3月1日~令和4(2022)年2月28日
展示会場:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
地下1階 情報展示コーナー
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館のウェブサイトでは企画展で上映されている動画をご覧いただけます。
https://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/project/exhibition/index.html
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
住所 広島市中区中島町1-6
TEL 082-543-6271
開館時間:3月1日~7月31日 8時30分~18時,8月1日~8月31日 8時30分~19時(8月5日,6日は20時まで),9月1日~11月30日 8時30分~18時,12月1日~2月末日 8時30分~17時
休館日:12月30日,12月31日
入館料:無料
HP: https://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/