老舗と戦争 イズミ ゆめタウン
広島で歴史を重ねる企業に注目し、戦時・戦後の歩み、平和都市「ひろしま」にある企業としての役割や志などを伺い、広島の未来の手がかりをひも解きます。
今回ご紹介するのは、1950年創業の「イズミ」。戦後の混乱期から今まで、総合スーパーとして地域に貢献してきてきた歩みを総務部部長の後藤郁生さんに伺いました。
豊かな暮らしに貢献する
創業者の山西義政が終戦から半年後に広島に戻ってきた時、広島駅から見えるはずもない似島(似島は広島港より南に約3キロメートル、フェリーで海上20分の近距離にある島)が手が届くほど間近に見えたというくらい、一面焼け野原だったそうです。そこで、山西は軍隊からの退職金800円を元手に、戦友から干し柿を仕入れ、広島駅前のヤミ市で見様見真似で商売を始めました。当時、“甘いもの”は大変なご馳走であったため、飛ぶように売れたそうです。その後、当時、統制下にあった衣料品の販売を商いの柱に、商売を大きくしていきました。お客さまが喜ばれるのが嬉しくて、必死にその顔を見つめ、望まれるものを揃える。終戦直後の物がない時代の中で、山西の商売は地域の皆さまに必要とされていきました。
1961年(昭和36年)に株式会社いづみを設立し、中四国地方では初となる総合スーパーマーケット、いづみ八丁堀店を開店させます。1階が衣料品で2階が食品売場という、現在のスーパーとは異なる店舗形態でした。欲しい人に、欲しいものを適正価格で届ける。個々のお客さまと一対一で向き合い、喜ぶ顔を追い求める、これがイズミの商売の原点です。また、1号店では45人だった従業員も倍々に増えていき、雇用という面でも地域の復興に関わらせていただいたようです。
総務部 部長の後藤郁生さん
小売業は第五のインフラとも言われておりますが、生活必需品を取り扱っているスーパーが開いていないと、地域の皆さまは様々な面で生活に支障をきたしてしまいます。西日本豪雨や熊本地震の際もいち早く店を開けることが使命だとの思いで、従業員一同努めてまいりました。
現在のコロナ禍ではマスクなど求められているものが満足に供給できない歯がゆさがありましたが、それと同時に「お店が開いている」ことが生活に欠かせない大事な役割だということを再認識いたしました。
現在、東は兵庫県から西は熊本県まで出店していますが、お客様のお顔や従業員の様子、お店の雰囲気などを現地に行って把握できるよう、広島から半日で行ける地域への出店に絞っています。
「感謝と信用をモットーに商業を通じて豊かな暮らしに貢献する」
ここ広島が原点でふるさとなので、しっかりと地域に根ざして、真心のある商売をしていきたいと思っております。
また、当社の名刺は、折り鶴(広島市平和記念公園の「原爆の子の像」に捧げられた折り鶴)の再生紙を使用し、平和への思いを共有しています。
本社の2階には原爆禍をはねのけ、力強く立ち上がる広島市民の写真とともに戦後からの歩みが展示されています。機会がありましたら、ぜひご覧ください。
イズミ本社 イズミ資料館(一般見学可能)
イズミ本社2階にある資料館。イズミの会社の歴史と共に、原爆投下後からの広島の歴史も知ることができます。
住所:広島市東区二葉の里3-3-1
開館時間:10:00~18:00
休館日:土曜・日曜、祝日、年末年始
お問い合わせ先:082-264-3211
会社紹介
1950年(昭和25年)に山西義政氏が衣類卸問屋の「(株)山西商店」を始め、その後、1961年(昭和36年)に株式会社いづみを創業し、八丁堀に第1号店となる総合スーパーマーケットを開店させる。1980年(昭和55年)年)株式会社イズミに名称変更。大型ショッピングセンター「ゆめタウン」、食品スーパー「ゆめマート」、総合複合施設「LECT」などを運営。
平和学習事業の紹介
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