Hiroshima’s Reconstruction Vol.10広島の復興シリーズ Vol.10:海外からの援助
1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。
原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。
広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。
Vol.10では,「海外からの援助」について紹介します。
海外からの援助
Vol.7~Vol9で紹介したとおり,広島平和記念都市建設法により,国から金銭的支援が行われ広島の復興は着実に進んでいった。また,国から支援されているという精神的な支援という面でもこの法律の効果は大きかったと言えよう。
一方,広島の復興は国からの支援だけでなく,海外からの支援によっても支えられていた。例えば,シュモー博士は昭和24年(1949年)に広島を訪れ住宅を建設して提供することを思い立ち,これが,ヒロシマの家・シュモーハウス計画の発端となった。シュモー博士は皆実町や江波山などに計21戸の建設を進め寄贈した。
また,アメリカ本土や南米などに移住していた広島県人は,義捐金や援助物資を送って支援した。基町の中央公園内の市児童図書館はアメリカ・カリフォルニア州在住の広島県人会からの寄付により建設された。
さらに,幟町に建設されたカトリック教会である世界平和記念聖堂の各種設備も寄贈されたものであった。西ドイツ(当時)のケルン市からはパイプオルガン,ボーフム市の鉄鋼会社からは平和の鐘,デュッセルドルフ市からは玄関の正面扉などが寄贈された。その他にも,ベルギー,オーストリア,ポルトガル,メキシコの協会などからも寄贈された。
参考
https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-25/
このページに関連する情報
広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻
広島県と広島市が連携して実施した「ひろしま復興・平和構築研究事業」の成果を「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐」として取りまとめました。
広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻この記事に関連付けられているタグ