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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.14広島の復興シリーズ Vol.14:広島県製造業の復旧・復興の下支え

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.14では,「広島県製造業の復旧・復興の下支え」について紹介します。

広島県製造業の復旧・復興の下支え

広島県製造業の復旧・復興に寄与した要因としては、1)機器・設備、2)職工の厚み、3)女性労働力による下支え、4)軍事施設の民間転換,特に製造業への比較的円滑な転換が挙げられる。

1)機器・設備

戦時中から終戦直後の「工業統計表」に掲載されている原動機とその実馬力を見ると、昭和15(1940)年に14.4万馬力だったものが終戦翌年の昭和21(1946)年には低下したが、昭和22(1947)年には16.1万馬力に回復している。

2)職工の厚み

従業者数に占める職工の比率は全国で戦前80%台半ば、戦後70%台後半であった。広島県では戦前に80%台後半であり、終戦直後は80%を下回ったが終戦から3年たった昭和23年には再び80%を超える比率となり、全国平均を上回った。

3)女性労働力による下支え

職工のうち女性の比率は全国水準より下回っていたが減少幅が全国水準より少なかった。昭和15〜20年の職工の増減を見ると、全国では職工が55%減,そのうち女性は54%減であったのに対し、広島県では、職工は13%減,うち女性は11%減にとどまっている。

4)軍事施設の民間転換,特に製造業への比較的円滑な転換

広島にあった、旧陸海軍の施設のうち連合国占領軍が使用しないものについては順次,民間への譲渡等が進められた。たとえば,陸軍運輸部金輪島工場(広島市)は三菱重工業広島造船所に,陸軍糧秣支廠(同)は広島糧工に,呉海軍工廠(呉市)は尼崎製鉄,播磨造船,日亜製鋼,アメリカ資本のNBCに,広第11海軍航空廠(同)は川南工業,東洋パルプに,それぞれ貸与された。このような転換は昭和23年ごろまでに完了した。


参考

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-35/

 

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