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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.17広島の復興シリーズ Vol.17:終戦後の保健・医療の状況

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.17では,「終戦後の保健・医療の状況」について紹介します。

終戦後の保健・医療の状況

終戦直後の広島市の医療の状況は他都市以上に深刻な状況であった。医療機関が破壊され満足に医療活動を続けられなかっただけでなく、原爆投下時に広島市内にいた医療従事者2,370人のうち2,168人が被爆したため、治療を受けられない患者も多くいた。

また、終戦直後においては急性伝染病や肺結核、性病が蔓延していた。このような中、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指導のもと、医療・衛生行政の改革がなされた事で充分とはいえないまでも対策を講ずることができた。

その一つが厚生省―都道府県衛生部―保健所―市町村という体系が確立したことである。とくに公衆衛生担当の第一線機関となった保健所の果たした役割は大きかった。

広島市の医療施設の復興について、「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」には次のように記載されている。

「原爆により広島市の医療施設は壊滅的な被害を受けた。しかしながらその復興は,予想したよりも早かったように思われる。そしてそれを可能にしたのは,第二陸軍病院を受け継いで国立広島病院が開院,広島陸軍共済病院の施設を利用して県立広島病院が再出発したように陸軍の遺産であった。また県立広島病院が日本医療団病院の譲渡を受けて再建されたように,医療団が果たした役割も忘れてはならない。ただしほとんどの病院や診療所は医療従事者の確保などにおいて改善の跡がみられるものの,施設や医療器具は不充分であり,その意味では復興はこれからという状態であった。」


参考

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-39/

 

 

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