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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.19広島の復興シリーズ Vol.19:被爆者医療の法制化

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.19では,「被爆者医療の法制化」について紹介します。

被爆者医療の法制化

広島市原爆障害者治療対策協議会(原対協)による被爆者治療が昭和28(1953)年から開始されたことはvol.18で紹介したとおりである。その1年後,昭和29(1954)年ビキニ環礁における水爆実験により「第五福竜丸」の船員が被ばくし,国費による補償や治療がなされることとなった。それを知った原対協や広島市議会は被爆者の治療費の全額国庫負担と生活援護を求める運動を開始した。結果,31年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(「原爆医療法」)が施行された。さらに昭和35年の改正により,特別被爆者制度が設けられ,認定されると原爆症以外の疾病でも医療費が支給されることになった。

原爆医療法により,国の支援が受けられることとなり被爆者医療は大きく前進したが,特別被爆者制度が設けられても適用されない患者が残るなど課題があった。また,当初から求めていた生活援護の支援はなされないままであった。

こうした問題を打開するため運動は続けられ,昭和43(1968)年5月20日に「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」(「原爆特別措置法」)が公布された。新たに特別手当,健康管理手当,介護手当などが支給されるようになり充分といえないまでも前進することになった。


参考

 

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-42/

 

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広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻

広島県と広島市が連携して実施した「ひろしま復興・平和構築研究事業」の成果を「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐」として取りまとめました。

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