Q6 被爆者の医療面では,どのような制度や研究・支援機関があるか?
●法律
昭和29(1954)年3月,米国の太平洋ビキニ環礁での水爆実験で日本の漁船,第五福竜丸の船員が被災した,ビキニ水爆被災事件をきっかけとした原水爆禁止運動の盛り上がりや被爆者自身による国の援護を求める運動などを受けて,昭和31(1956)年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(原爆医療法)」が施行され,被爆者は国費での健康診断と医療受診が可能になった。昭和35(1960)年の同法の改正により,一定の被爆者は生活援護のための医療手当の受給が可能となった。だが,対象となる被爆者は限られ,生活援護も不十分だとの不満があったため,特別手当,健康管理手当などを盛り込んだ「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)」が昭和43(1968)年に施行された。
しかし対象に所得・年齢制限などがあったため,原爆医療法と原爆特別措置法を一本化して,平成7(1995)年に「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」が施行された。同法により所得制限は撤廃され,被爆者は生活援護の諸手当の受給が可能となり,原爆死没者の遺族への給付金も盛り込まれるなど,被爆者援護の内容は以前の2法より充実した。
●被爆者医療の研究・支援
広島の医師たちは被爆直後から被爆者治療に取り組んできたが,昭和28(1953)年1月,広島市と広島市医師会により,広島市原爆障害者治療対策協議会(原対協)が設立され,被爆者の無料治療や健康診断を開始した(現(公財)広島原爆障害対策協議会)。
昭和31年には,放射線の後障害の治療のため日本赤十字社広島原爆病院が開院(現広島赤十字・原爆病院)。昭和36(1961)年には広島大学に原爆放射能医学研究所(原医研)が設立され,放射線の人体への影響などの基礎研究を行っている(現広島大学原爆放射線医科学研究所)。
一方米国は,原爆障害の後遺症を継続調査する目的で,大統領指令により昭和22(1947)年,原子爆弾傷害調査委員会(ABCC)の事務所を開設。昭和25(1950)年には比治山に研究所を設置し,被爆者の遺伝学的調査などを行ったが,被爆者からは「調査はしても治療はしない」との批判も出た。昭和50(1975)年,日米両政府の合意で(財)放射線影響研究所(放影研)に改組し(現在は公益財団法人),被爆者の継続調査を行っている。
平成3(1991)年,広島で被爆者治療や放射線障害の研究を行っている組織が協力し,放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)が発足。海外の医療従事者の研修や専門家の派遣などを行っている。