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国際平和拠点ひろしま

『シュモーハウス』 ~海外からの復興支援~

 1945年(昭和20年)8月,原爆により焼き尽くされ焦土となった街では,食糧や衣服などの生活物資や住居は不足し,広島の住民は苦しい生活を強いられました。また,原爆による障害に苦しみ,家族や友人を失った悲しみから孤独や絶望感を抱くこともありました。
 こうした被爆後の状況の中,生活を取り戻すための住民自身の地道な取り組みに加え,国内のみならず,海外からもさまざまな支援が寄せられ,物質的にも精神的にも大きな支えとなりました。
 米国のフロイド・シュモー氏(1895年-2001年)は,広島・長崎への原爆投下に心を痛め,住まいを失った広島の人々の家を建てる活動を進めました。広島市中区江波二本松にある「シュモーハウス」は,シュモー氏の活動により1951年(昭和26年)に集会所として建てられ,以来,今日まで地域活動の拠点として活用されてきました。広島南道路の整備に伴い,集会所としての役割は終えましたが,2012年(平成24年)に南東約40メートル離れた場所から現地に曳家移転して保存され,海外から被爆後の広島に寄せられたさまざまな支援を伝える展示施設(広島平和記念資料館附属展示施設)として公開されています。
 シュモー氏の「広島の家」の建設活動と,国を超えて込められた思いはどのようなものだったか学ぶため,「シュモーハウス」を見学してきましたのでご紹介します。

(報告者:広島県平和推進プロジェクト・チーム職員)

シュモーハウス 外観

シュモー ハウス 展示の様子

1 フロイド・シュモー氏について

 フロイド・シュモー氏(1895年―2001年)は,米国シアトルに住み,ワシントン大学の森林学の講師で,戦時中には日系アメリカ人の支援を行っていました。広島・長崎への原子爆弾の投下に大きな衝撃を受け,深く心を痛めたシュモー氏は,被爆した人々のために何かできることはないかと思い悩み,住まいを失った広島の人々のために,皆が協力して家を建てる計画を考えました。そして1948年(昭和23年)に初めて広島を訪問し,救援活動を行うとともに,計画の実現に向けて準備を進めました。
 「広島の家」と名付けられたこの計画は,募金活動や団体からの支援によって世界中から4,300ドルの資金が集まり,1949年(昭和24年)7月,シュモー氏は3人の仲間とともに,ガラスやくぎなどの建築資材を携えて日本へと向かいました。

フロイド・シュモー氏
提供:広島平和記念資料館
寄贈:ブルックス・アンドリュース氏

2 「広島の家」計画① 最初の建設 皆実町―1949年

 1949年(昭和24年)8月4日,シュモー氏ら一行は広島に到着しました。被爆から4年が経っていましたが,広島の住宅不足は深刻でした。シュモー氏が持ってきた建築資材と広島の木材を使うことで,広島市南区皆実町の市営住宅建設予定地に木造平屋建ての二軒長屋2棟を建設しました。来日した4人は,大工の棟梁1人を雇い,広島や東京などの社会人と学生ボランティアの協力も得ながら,「広島の家」を建てました。

脚立に上って作業する様子
提供:広島平和記念資料館
寄贈:吉田純子氏
寄託:シュモーに学ぶ会

皆実町に建てられた住宅模型 所蔵:シュモーハウス

(正面)
(上から)

3 「広島の家」計画② コミュニティハウス「江波ヴィレッジ」(現在の「 シュモー ハウス」) ―1951年

建築当時の材質のままの壁面が一部展示されている 所蔵:シュモーハウス

 広島市中区にある江波皿山のふもとには9棟の住宅と1棟のコミュニティハウスが建てられ,「江波ヴィレッジ」と名付けられ「広島の家」計画のなかでも最大の規模となりました。このうち,コミュニティハウス1棟のみが現存しています(現在の「シュモーハウス」)。シュモー氏は,「江波ヴィレッジ」の住人だけでなく,近隣の住民も集まることができる場をここに作ろうと考えていました。コミュニティハウスは,その後「シュモー会館」と呼ばれ,長く地域の集会所として使用されました。
  「広島の家」計画により,1949年(昭和24年)から1952年(昭和27年)まで広島市内に合計15棟(21戸)の建物が建設されました。計画の一環として,長崎でもボランティアたちによる住宅やコミュニティハウスの建設が行われました。
 シュモー氏は,広島・長崎での活動の後も,朝鮮戦争(1950年-1953年)や中東戦争(1948年-1973年)で被災した住民のためにも家を建築したり,井戸を修復する活動を行っています。

4 シュモー氏が残したもの

皆実平和住宅と「祈平和」灯ろう

 海外から広島を支援した人たちは,被爆の惨状を知り,心を痛め,被爆者の苦しみや悲しみに思いを寄せました。自ら広島を訪れ,市民と共に活動した人たちをはじめ支援の輪は国内外に大きく広がりました。
 援助を受けた人たちは資金や物資の援助だけでなく,支援した人たちとの触れ合いを通して,絶望の中から生きる勇気と希望の光を見出していきました。被爆者,市民は復興へと歩みはじめたのです。

 皆実町に初めて建設された「広島の家」は,「皆実平和住宅」と名づけられました。ここには地元の人たちも手伝って小さな庭も造り,「祈平和」,「THAT THERE MAY BE PEACE」と彫った灯ろうを置きました。その後,シュモー氏が建てた住宅は建て替えられ,庭も移設されましたが,シュモー氏の心は残された「皆実平和住宅」という名称と灯ろうに生き続けています。

シュモー氏が描かれた絵本 「シュモーおじさん」

 

 

 

 シュモー氏は,1983年(昭和58年)11月,「広島の家」の建設・寄贈を通じて平和運動に尽力したことで,広島市から特別名誉市民の称号を贈られました。
 また,シュモー氏の深い平和への思いは,小さな子どもたちにも親しみ易い絵本(『シュモーおじさん』とがわ こういちろう/文・絵, シュモーに学ぶ会 /制作,今田洋子出版,2016年)となって紹介されています。
 シュモー氏をはじめ「広島の家」の建設に関わった人々の深い愛と平和への思いは,今なお語り継がれています。

     

 

 

シュモーハウス

広島市中区江波二本松一丁目2番43号

開館時間:9:00~17:00

休館日:毎週月曜日(8月6日や祝日の場合は開館),祝日の翌平日,年末年始(12月29日~1月3日)

料金:無料

HP:http://hpmmuseum.jp/modules/info/index.php?action=PageView&page_id=35

平和学習

海外から広島に寄せられた支援

シュモー氏だけでなく海外から原爆投下後の広島に寄せられた支援はありました。詳しくはこちらをご覧ください。

海外から広島に寄せられた支援

「広島の家」-国や人種を超えて寄せられた支援

広島の復興経験を生かすために-廃墟からの再生-第4巻に「広島の家」について掲載されていますのでこちらもぜひご覧ください。

「広島の家」-国や人種を超えて寄せられた支援

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