Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol1I 広島平和記念都市建設法の制定過程とその内容
昭和21(1946)年10月,11月段階で初期の復興計画が確定し,あとは土地区画整理事業を推進するだけという段階になったが,この事業の推進は広島に限らず全国の戦災都市でも困難を極めた。昭和24年6月24日「戦災復興都市計画の再検討に関する基本方針」が閣議決定されることとなった。このなかで区画整理区域を縮小しようという方向や,街路については「幅員のはなはだ大なる街路(おおむね30メートル以上)は,その実現性並びに緊急性を勘案して適当に変更する」というように道路幅員の縮小を指示するなど,当初の基本方針からの大転換となった。
再検討・見直しによって全国的に計画縮小が進み,たとえば広幅員道路である百メートル道路が当初全国では24本計画されていたが,再検討後は4本にまで激減してしまうのである(表4―1,2)。百メートル道路に限らず,区画整理区域面積も大幅に縮小することになる。当初全国の区画整理区域の計画面積は約1億8,000万坪であったが,後の再検討5か年計画面積は昭和35年時点で約8,500万坪となり,ほぼ半減したのであった。全国における戦災都市の財政難にもまして困窮を極めていたのが被爆都市広島であった。ほとんど税収の上がらないなかで,緊急に必要な事業や対策は過大であった。このようなとき,関係者,担当者は決して手をこまねいていたわけではなかった。
表4―1 百メートル道路の計画状況
都市名 | 100メートル | 80メートル |
東京 | 13 | 1 |
横浜 | 2 | |
川崎 | 2 | |
名古屋 | 2 | |
大阪 | 4 | 1 |
神戸 | 1 | |
広島 | 1 | |
合計 | 24 | 3 |
「特別都市計画街路幅員別調書」(戦災復興院計画局土木課調22.11.12)より)
表4―2百メートル道路の計画状況
都市名 | 100メートル以上計画 | 100メートル以上計画 |
再検討前 | 再検討後 | |
東京 | 7 | 0 |
横浜 | 2 | 1 |
川崎 | 1 | 0 |
名古屋 | 2 | 2 |
大阪 | 2 | 0 |
広島 | 1 | 1 |
合計 | 16 | 4 |
(「戦災復興事業再検討街路計画比較表」(昭和24.6.28.都市局)より)
この事態に対処するために,苦慮を重ねた結果,『広島平和記念都市建設法』の制定という方法を見出したのであった。
終戦直後から政府に対しては特別の補助とか,国有財産の払い下げなどについて,配慮をいただけるようたびたび要望・陳情を繰り返していった。たとえば,早くも昭和20(1945)年11月13日,広島市会全員協議会はGHQマッカーサー元帥に対して『広島復興意見書』を提出して復興事業への特別の高率補助を要請している。昭和21年1月,木原市長は国に対して旧軍用地の払い下げを申請しており,この要望はその後何回も行っている。この終戦直後から昭和23年11月ごろまでを第1期とすると,国有財産払下げ・特別補助陳情運動期と名付けることができる。そして昭和23年11月30日の広島市会全員協議会において「広島の復興・建設を国家の事業として実施されたい」旨の復興国営の請願を議決したことから第2期,復興国営請願期が始まると考えられる。
昭和24年2月13日,広島市関係者,参議院各委員長と協議,陳情を進め,そのなかで浅岡参議院議員と任都栗市会議長らが参議院の寺光忠を議事部長室に訪ねたところから急展開することとなった。寺光から新憲法95条に規定されている特別法の制定という枠組みで対応しようというアイデアが披歴され,早速その草案作りが開始されることとなった。その法律を「広島平和記念都市建設法」(平和都市法と略すことあり)としようということで,第3期,平和都市法制定運動期が始まった。このときの「平和記念都市」というキーワードが導かれた。平和都市法案第1条に目的として,「この法律は,恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として,広島市を平和記念都市として建設することを目的とする。」とあり,都市建設の目的を掲げそこに至るよう努力するというものであった。また第6条で広島市長の責務として
「その住民の協力及び関係諸機関の援助により,広島平和記念都市を完成することについて,不断の活動をしなければならない。」と規定している。
広島平和記念都市建設法は,昭和24年5月10日に衆議院を,11日参議院を満場一致通過した。こうして昭和24年5月11日国会通過までが第3期の平和都市法制定運動期ということになる。
次いで,同年5月14日に衆議院議長が地方自治法に基づき内閣総理大臣に広島平和記念都市建設法が憲法第95条の特別法としてある旨を通知し,同年7月7日の住民投票を経て,8月6日の公布に至って成立するまでが,第4期の広島平和記念都市建設法制定運動終幕期である。投票率は65.0%,投票総数に対する賛成票の率は91.0%,有権者総数に対する賛成票の率は59.2%であった。広島向けの広島平和記念都市建設法が成立し,同年8月6日公布・施行となった。その後は第5期の平和都市法運用期(あるいは平和都市法活用期)となり,広島の復興過程において大きな役割を果たすのである。