Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol2おわりに
原爆が投下されて以後,広島の学校教育は,生き残った教師と子どもを中心に,地域の支援を得ながら少しずつ復興を遂げてきた。終戦当初は,焼け野原の広島で食糧不足の中,子どもたちの教育環境の改善に向けて,学校と地域が一体となって校舎の修繕や学用品の調達に努めた。その後,少しずつ生活が改善されるにつれて,学校教育の質的向上が目指された。教師たちは,重点課題について学校全体で実践研究を行い,その成果を積極的に公開する「授業研究」に邁進した。またそうした学校の取り組みを PTA などの地域が献身的にサポートした。こうして学校が地域の拠点となるとともに学校が核となって地域づくりも進んでいった。すなわち学校は,戦後の教育復興のみならず地域コミュニティの復興拠点としての役割を果たしてきたのである。