Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol4「広島の家」-国や人種を超えて寄せられた支援 Ⅰ はじめに
落葉 裕信(おちば ひろのぶ)
広島平和記念資料館学芸課学芸員。昭和52(1977)年広島市生まれ。平成12(2000)年(公財)広島平和文化センターへ入職し,広島平和記念資料館学芸課に配属。広島平和記念資料館がこれまでに開催した「海外からの支援-被爆者の援助と込められた再建への願い」(平成19(2007)年),「廃虚にフィルムを回す-原爆被災記録映画の軌跡」(平成21(2009)年)などの企画展示に携わる。現在は広島平和記念資料館の常設展示のリニューアルを担当。
Ⅰ はじめに
2012年(平成24年)11月1日,広島市中区江波二本松に「シュモーハウス」と名付けられた展示施設が開館した。「シュモーハウス」という名称は,被爆から4年後の1949年(昭和24年)に住まいを失った広島の人々のために住居を建てる「広島の家」の活動を始めたフロイド・シュモー氏に由来する。「シュモーハウス」は,その活動の中でコミュニティハウス(集会所)として建てられたものである。
原爆による破壊と終戦後の混乱の中,物資は不足し,市民は傷を抱え肉体的にも精神的にも苦しい生活を余儀なくされていた。連合国の原爆報道の規制により被害の実態は国内に広く知られることはなく,また他の都市も戦争の傷跡が深く,国内の援助は不足していた。広島市民自身が焼け跡から立ち上がり再建への道を地道に歩むしかない状況であった。そうした中,大きな支えとなったのは,海外から寄せられたさまざまな支援であった。
現在,広島に寄せられた支援を形としてとどめ,伝えるものは,ほんのわずかしかない。「シュモーハウス」は,そのわずかに残る一つである。
この報告では,フロイド・シュモー氏の「広島の家」の活動に焦点をあてる。これまで「広島の家」については,広島平和記念資料館の企画展示や「シュモーハウス」の展示の中で紹介してきた。また,長谷川寿美氏の論稿1や「シュモーに学ぶ会」が出版した書籍2で紹介されている。この報告では,それらの内容と重なる点もあるが,新たに確認できた資料も交え,海外から支援を寄せた人々は何を思い,広島でどのような活動を行ったのか伝えたいと思う。
1 長谷川寿美「フロイド・ シュモーと「広島の家」」『エスニックアメリカを問う「多からなる一つ」への多角的アプローチ』彩流社 2015年
2 シュモーに学ぶ会『ヒロシマの家-フロイド ・シュモーと仲間たち-』2014年