Leaning from Hiroshima’s Reconstruction Experience: Reborn from the Ashes vol4Ⅱ 「広島の家」の構想
「広島の家」の活動を計画し,中心的な役割を担ったのがフロイド・シュモー氏である。シュモー氏は1895年(明治28年)9月21日にアメリカ・カンザス州に生まれた。家は農場を営んでおり,シュモー氏も子どもの頃から牛や馬の世話をしていた。また小さい時から争い,特に戦争を憎むように教えられてきた。成長し,ワシントン州シアトルのワシントン大学で森林学を学んだ。大学在学中に第一次世界大戦が勃発。戦災救援と復興のためにアメリカ・フレンズ奉仕団と共にフランスへ赴き,町を破壊された人々のために住宅を建設した。さらにドイツとポーランドへも救援活動のために赴いた。大学卒業後は,シアトルのマウント・レイニアの国立公園で公園保護官として8年間勤務した後,母校のワシントン大学の講師となり森林学を教えていた3。
1941年(昭和16年),日本との戦争が始まるとシュモー氏の生活は大きく変化する。アメリカの西海岸とハワイの一部の地域に住む日系アメリカ人たちが強制的に立ち退きを命じられ,収容所生活を余儀なくされることになったのだ。ワシントン大学にも日系アメリカ人の学生たちが在籍していた。シュモー氏は対象となった学生たちを学業が続けられるよう,東海岸の学校へ転校させ,アメリカのこの政策に抗議して大学を辞め,収容所に収容された日系アメリカ人への支援活動を行っていた4。収容所に収容された人々は,わずかな荷物しか持つことを許されなかった。家は放置され,破壊され,略奪にあい,ひどい状態のものもあった。シュモー氏は仲間とともに,こうした日系アメリカ人の家を修理する活動も行っていた5。
そうした中,1945年(昭和20年)8月6日に広島へ原爆が投下される。原爆投下を知ったシュモ一氏は大きな衝撃を受け,深く心を痛めた。当時の様子を「広島に原爆が投下された時,私は傷ついた者の一人だった。悲劇をこうむった都市から,約5,000マイル(約8,000km)離れた安全な自分のオフィスでその信じられない知らせを聞いたけれども,私は衝撃を受け,深く傷ついた6。」と記している。その後,シュモー氏はラジオを通じて雑誌『ニューヨーカー』に掲載されたジョン・ハーシー氏のルポルタージュ「ヒロシマ」を聞いた7。ハーシー氏は,雑誌『タイム』,『ニューヨーカー』の特派員として1946年(昭和21年)5月に広島を訪問。牧師,医師,主婦など異なった立場の6人を取材した。被爆体験や当時の救護活動が克明に記され,一般の人たちが無差別に犠牲となる原爆の恐ろしさを訴えた内容は,世界中に大きな反響を与えた。シュモー氏も「ヒロシマ」によって,被爆した一人一人の実態を知ったのだった。シュモー氏は,被爆した人々のために何かできることがないかと思い悩み,広島の人たちへ,アメリカ人として謝罪の気持ちや悲しみを伝えたいと考えた8。しかし,言葉だけでは,自分の気持ちは伝わらないと感じた。自分の思いを伝えるためには,何か行動する必要があると考えた。そして,自分自身が広島へ行き,自らの手で家をつくり,原爆で住まいを失った人たちのために提供することを決意した。そうすれば,広島の人たちが自分が作業を行う様子を見て,自分の気持ちを感じ取ってくれるだろうと9。
その思いは,広島で共に家を建てたルース・ジェンキンズ氏に活動の参加を呼びかけた手紙の中に記されている。
「これは,爆撃で焼け出された二百万の日本人家族のうちの一家族のための家というだけではなく,私たちの爆弾により日本の罪のない人々が苦しんだことを遺憾に思う多くのアメリカ人の気持ちの証しになるものだ。ヒロシマは私たちが犯した重大な犯罪を記憶しておくべき地であり,今回の戦争で最悪の攻撃を受けた街であるからこそ,この家をその地に建てたいのだ10。」
3 Letter from Floyd Schmoe, Floyd W. Schmoe Papers, 1903-1993, The University of Washington Libraries, Special Collections, Accession No.0496-008, Box12, Folder16.
4 ヒラサキ・ナショナル ・リソースセンター 『日系アメリカ人強制収容所の概要』
全米日系人博物館ウェブサイ ト(http://www.janm.org/jpn/nrc_jp/accmass_jp. html)
5 デイジー・ティブズ氏の証言 2012年 シュモーハウス展示「広島の家」の建設に参加した人たち
6 Floyd Schmoe,“A HOUSE FOR HIROSHIMA,” Floyd W. Schmoe Papers, 1903-1993, The University of Washington Libraries, Special Collections, Accession No.0496-008, Box12, Folder1.
7 Floyd Schmoe,“A HOUSE FOR HIROSHIMA, ”Floyd W. Schmoe Papers, 1903-1993,The University of Washington Libraries, Special Collections, Accession No.0496-008, Box12, Folder1.
8 Floyd Schmoe,“A HOUSE FOR HIROSHIMA,” Floyd W. Schmoe Papers, 1903-1993, The University of Washington Libraries, Special Collections, Accession No.0496-008, Box12, Folder1.
9 “HOUSE FOR HIROSHIMA...A Quaker concern in action,”Floyd W. Schmoe Papers, 1903-1993, The University of Washington Libraries, Special Collections, Accession No.0496-008, Box12, Folder1.
10 Letter from Floyd Schmoe to Ruth Jenkins, January 9, 1949, Emery E. Andrews papers, 1925-1959, The University of Washington Libraries, Special Collections, Accession No.1908-001, Box1, Folder15.