平和とグルメ2 「お好み焼 みっちゃん総本店」
原爆投下後の広島で生まれ、戦後の復興とともに成長してきた数々の飲食店は戦後をどのように歩み、現在に至るのか。
今や全国に名を知られるお好み焼の老舗、昭和25(1950)年創業の「お好み焼 みっちゃん総本店」の常務である上川学さんにお話を伺いました。
戦後はたくさんの屋台が軒を連ねた現在のアリスガーデン周辺(広島市中区新天地)
「昭和25年、創業者である井畝満夫(現会長)の父親が現在のアリスガーデンで「美笠屋」という名の屋台を始めました。その屋台では、生地にネギ・天かす・とろろなどをのせて焼く“一銭洋食”が子どもたちに人気でした。会長も昼は平和大通りの建設工事の仕事をしながら夕方からは屋台を手伝うようになり、昭和28(1953)年に店名を会長のあだ名である「みっちゃん」に変更。知り合いがお店を見つけやすくなり繁盛したと聞いています。
当時、屋台の鉄板が小さかったこともあり、別々に作っていた焼きそばと野菜だけのお好み焼を合体させたところ、お腹いっぱい食べられるということで、現在の広島のお好み焼の原型が生まれたそうです。
その“お好み焼”は復興工事のために県外から広島に来ている労働者の方たちのお腹も満たしました。周りの屋台に作り方を教えて一緒に街を盛り上げてきたようです。」
創業者の井畝満夫会長。広島のお好み焼の歴史を紡いできた一人
「昭和40(1965)年に広島市の条例により、新天地にあった多くの屋台が立ち退きになり、また同時に広島駅ビル内に出店を誘われ、店舗を持つことになったのです。すると、全国のビジネスマンたちが広島のお好み焼を知ることとなり、帰りの新幹線に乗る前に食べることから、夜の食べ物だったお好み焼が昼の食べ物へと転換したきっかけにもなりました。その後、店は広島市中区八丁堀へ移転し、現在の「みっちゃん総本店」を構えます。
平成5(1993)年にあったお好み焼の第一次ブームによって、お好み焼の存在が全国でも知られるようになると、テレビからも取材され観光客も増えました。ちなみに、平成28(2016)年にオバマ氏が広島を訪問されてからは、日本だけでなく世界中から観光に来られた人たちが、お好み焼を食べて行かれるようになりました。広島のお好み焼が、日本中へそして世界へ広がった証ですね。
お好み焼は戦争からの復興のシンボルです。原爆からの復興のため、全国からたくさんの人が広島に集まり、お好み焼がその人たちのお腹を満たしてきました。お好み焼を中心に、広島の多くの産業が元気を取り戻してきたはずです。
上川学さんは学生時代からみっちゃんでアルバイトし、井畝会長からたくさんのことを学んできた
今年(2020年)のコロナ禍では、県外からのお客さんがほぼゼロになりましたが、それでも売り上げはそこまで落ち込みませんでした。それは地元の方にも通っていただいていたという証拠でもあり、本当にうれしかったですね。毎日行列ができるほど、県外からのお客様に来ていただけることが当たり前ではないことを、私たちも再認識できたのです。
創業者である井畝会長がお好み焼を焼くことがなくなって、8年になりますが、会長が作り上げた味を我々が引き継いでいくのが『みっちゃん』の使命です。「広島のお好み焼を全国のスタンダードに」という社訓のもと、“毎日でも食べられるお好み焼”をこれからも変わらずに作り続けていきます。
みっちゃん 総本店(八丁堀本店)
広島のお好み焼の生みの親である井畝満夫さんが創業。広島市内に5店舗、廿日市市に1店舗を展開している。
みっちゃん総本店(八丁堀本店)
電話番号:082-221-5438
住所:広島市中区八丁堀6-7チュリス八丁堀1階
時間:11:30〜14:30、17:30〜21:00(LO閉店の30分前)
休み:なし
交通:広島電鉄八丁堀電停から徒歩5分
平和学習事業の紹介
SDGsから考える食と企業
広島県は国連が定めた持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向け,SDGsビジネスを促進する企業の事例集を作成しています。 目標2「飢餓をゼロに」に取り組んでいる企業はこちらからご覧ください。
SDGsから考える食と企業はコチラお好み焼と広島カープ
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