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国際平和拠点ひろしま

独自の視点と若い熱意で、平和を問う崇徳高校 新聞部

    

     

    

    

原爆投下から4年後の1949年に創部した広島の崇徳高校新聞部は、毎年8 月6日へ向けての特集号で平和を訴える紙面を作り続けています。

 全国紙やテレビ局の記者にも引けを取らずに取材をする姿はマスコミ界隈で話題となり、これまで多くのメディアに取り上げられています。

新聞作りへの思いを、前部長・井上朝斐さん(3年)、部長・川上真生さん(2年)、副部長・松浦慎之介さん(2年)、顧問の花岡健吾先生に伺いました。

「今年(2020年)の紙面のテーマは『記憶の継承』。あの日の崇徳生と今の崇徳生とをつなぐ企画も掲載しました。原爆により亡くなった生徒たちがいた場所は現在の崇徳生たちの通学路でもあります。あの日を身近に感じてもらうきっかけになればと考えました」(井上さん)

    

      

    

放課後になると、図書室の一角に新聞部部員が集まってくる

        

      

 平和特集への取材は前年度から少しずつ進めるそうですが、今年はコロナ禍で3月から部活動は休止、やっと活動が再開できたのは6月。そこから怒涛の取材ラッシュとなりました。毎年取材してきた平和記念式典の光景も今年は一変していたそうです。

「今年の平和記念式典の人の少なさに、これが本当に8月6日なのか……という驚きがありました。印象的だったのは、原爆死没者慰霊碑の前で手を合わせていた年配の女性が『訪れることも大事だけど、一番大切なのは平和を思う気持ち』とおっしゃっていたこと。現地に来られなくても、気持ちがあればどこからでも平和を思うことができる。コロナ禍の取材だから気づけたことでした」(川上さん)

    

    

     

(写真左から)井上朝斐さん、川上真生さん、松浦慎之介さん

    

    

これまで、「オバマ米国大統領広島訪問」での周辺取材、ローマ教教皇が広島で行った「平和の集い」の取材、映画「この世界の片隅に」の継続取材なども実現させてきました。新聞で取り上げるテーマは生徒自らが考え、顧問の花岡健吾先生は、実際に現場に立ちたくさんのことを感じ取る大切を知ってもらうため「新聞作りにネットの記事は使わない」「掲載写真は自分たちで撮ったものを」と、徹底して指導しているといいます。

「何かを取材したいと思った時、どのような手を打っていけばそれが実現するのか、生徒たちと一緒に考えています。彼らが平和に関する取材を通して感じたことは、数年後、数十年後、大人になった時や親という立場になった時に、見方や捉え方が違ってくるはずです。その時の気づきのためにも今を全力で活動してほしいですね」(花岡先生)

    

     

     

コロナ禍で、新入部員ともなかなか顔を合わせることができなかった

      

     

今年から男女共学になった崇徳高校。新聞部にも初めて女子部員を迎え、また新たな歴史が刻まれました。 

「70年以上積み上げてきたものプラス、最新の情報や今の時代の高校生だからこそできることも追加していくことが大切だと思っています」(井上さん)

「先輩が続けてきたものを僕たちも発信していきたい。いかに崇徳生に興味を持って読んでもらうかということを意識して紙面作りに取り組みたいです」(川上さん)

「様々な職業や立場の方々に取材をして、いろんな視点や考え方があることを日々学んでいます。広島で育ったからこそ、やらなきゃいけないことがある、という思いがあります」(松浦さん)

 新聞作りを通して、多くの先輩方から引き継いだ平和への思いを、後輩へとつないでいきます。

      

      

崇徳高校 新聞部

1949年創部。現在、部員35名で活動。年間100号以上の新聞を発行。2017年には全国高校新聞コンクールで「全国高校新聞教育研究賞」を受賞。現在「旧陸軍被服支廠の保存問題」の継続取材を続けている。

      

      

      

【崇徳学園新聞 速報版】


「核兵器禁止条約の発効確定 」を受け、2020年10月25日に原爆ドーム前で行われた集会において、湯崎英彦広島県知事と松井一實広島市長に、崇徳高校新聞部がインタビュー取材を行いました。集会の様子や、それぞれのインタビューを元に10月27日には崇徳学園新聞速報版が発行されました。

    

     

平和学習事業の紹介

メディアと復興

人類史上初めて広島に投下された原爆による惨禍を,国内外のメディアはどう報じたのだろうか。 未曾有の事態をいち早く伝えようとしたのは,広島市内の報道各社の記者たちであった。

メディアと復興

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