当サイトを最適な状態で閲覧していただくにはブラウザのJavaScriptを有効にしてご利用下さい。
JavaScriptを無効のままご覧いただいた場合には一部機能がご利用頂けない場合や正しい情報を取得できない場合がございます。

国際平和拠点ひろしま

1 近代化の中の広島

都市としての広島の歴史は,毛利輝元が天正17(1589)年,太田川のデルタに広島城を築城したことから始まる。江戸時代,地方都市では名古屋,金沢などに続く大城下町だった広島は,明治維新以降,広島県庁や広島鎮台(のち第5師団)が置かれたことにより,政治都市・軍事都市として,引き続き地域の中心地としての地位を保った。
明治期には,難事業の末,5年余りをかけて明治22(1889)年に竣工した宇品港をはじめ,山陽鉄道や市内路面電車などの鉄道,デルタを繋ぐ新橋や道路網が整備された。近代的大工場の先駆けである紡績業に加え,広島には第1次世界大戦後から第2次世界大戦中にかけて重化学工業の大工場が点在し,広島の産業の主役として発展した。
戦前の広島はまた,各種の教育機関が充実した教育都市でもあった。明治35(1902)年に開校した官立の広島高等師範学校は「教育の西の総本山」と称され,東京高等師範学校と並んで日本の教育界をリードする存在であった。併せて,中央官庁の地方機関や全国企業の支店が多数設置されるなど,広島は全国で6大都市に次ぐ人口規模の街となり,行政拠点都市・軍都・学都としての歩みが,近代都市広島を形成していった。

< 前のページに戻る次のページに進む >

 

目次に戻る