Q1 原爆が落とされる前の広島はどんな街だったのか?
16世紀末までの広島は,太田川の河口に浮かぶ小島からなる寒村だった。ここに戦国の武将・毛利輝元が天正17(1589)年,築城を開始。2年後に入城し,この地を「廣島」と命名した。毛利輝元は慶長5(1600)年の関ケ原の戦いで西軍に付いて敗れ,徳川家により領地を移された。次いで広島藩主になった福島正則も元和5(1619)年,無許可で城を改修したとして領地を移され,浅野長晟(ながあきら)が藩主になった。以降,広島は江戸時代を通じて浅野家を藩主とする広島藩43万石の城下町となり,城の周囲を内堀,外堀や運河が取り囲み,城の南側を通る西国街道に沿って町屋敷や寺屋敷が置かれる大都市として栄えた。
明治元(1868)年に明治新政府ができると,明治4(1871)年には広島県,明治22(1889)年には広島市が誕生し,県庁所在地の広島市は西日本の政治経済の中心都市となった。明治22年には宇品築港事業が竣工。明治27(1894)年には関西方面からの鉄道が広島まで開通し,大正元(1912)年には市内に路面電車が開通するなど交通網も整備。紡績業を中心とする工業都市,広島高等師範学校などに代表される教育機関の集まる学都としても発展し,戦前の広島は中四国の拠点都市となった。
一方,広島は軍都としても発展した。明治時代初期の1870年代には第5軍管広島鎮台(後の第5師団)が置かれ,広島城周辺に歩兵第11聯隊などの部隊や練兵場などが設置された。明治27年,日本が日清戦争に突入すると,宇品港が兵員輸送の玄関口となり,広島駅から宇品港までの6キロの軍用鉄道が2週間あまりで開通した。同年9月には戦争指揮のため明治天皇が大本営を東京から広島に移し,帝国議会も広島で開かれ,明治28(1895)年4月まで広島は臨時首都となった。日清戦争以降,広島には陸軍の様々な部隊や施設が配置され,太平洋戦争末期の昭和20(1945)年には,本土決戦に備えるため,西日本の部隊を統括する第2総軍司令部が広島に設置され,西日本の最後の砦とされた。