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国際平和拠点ひろしま

Q3 広島の復興を支えた重要な法律や枠組みはどのようなものか?

政府は昭和20(1945)年11月,戦災復興院を設置して復興事業に着手し,同年12月30日には,特に被害の大きかった115の都市を対象に「戦災地復興計画基本方針」を閣議決定して,土地区画整理事業を中心とする復興事業を開始した。
広島の復興は,広島県都市計画課が中心となり,広島市や地元住民の意見を取り入れて昭和21(1946)年11月までに,街路(道路),公園緑地,土地区画整理の各事業からなる復興都市計画を策定した。このうち街路および公園は従来の「都市計画法」の枠組みで行われたが,土地区画整理事業については昭和21年9月に「特別都市計画法」が施行され,その枠組みで実施された。
一方,復興財源の捻出のため,「焼け跡の土地を売却」「競馬場設置」「富くじ発行」などの案が出され,「広島県学校復興宝くじ」(昭和23[1948]年),「広島県土木復興宝くじ」(昭和24[1949]年)なども発行されたが,解決にはならず,期待された市内の約585ヘクタールの旧軍用地の無償払い下げも実現しなかった。
昭和22(1947)年に当選した濱井信三市長は,特別立法による国の支援を得ようと昭和23年11月から連合国軍総司令部(GHQ)や国,国会への請願を開始。広島を国家事業で平和記念都市として復興する必要性を説得し,「広島平和記念都市建設法」の制定を目指した。広島出身の寺光忠・参議院議事部長が法案を起草し,GHQの承認を経て昭和24年5月,議員立法として衆参両院に提出,ともに満場一致で可決した。

広島平和記念都市建設法は全7条。第1条で「この法律は,恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として,広島市を平和記念都市として建設することを目的とする」ことを謳い,第4条には,国が必要と認める場合は普通財産を県や市に譲与できることが明記され,手厚い国の支援の下での復興に道を開いた。

 

 

 

 

 

 

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