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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.1広島の復興シリーズ Vol.1:原子爆弾投下前の広島の街

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.1では,原子爆弾投下前の広島の街について紹介します。

原子爆弾投下前の広島

都市としての広島の歴史は,毛利輝元が城を築いた1589年から始まる。

明治維新以降,広島は,新たな行政機構・軍事機構が創出され,行政拠点都市・軍都・学都としての歩みがスタートした。

工業都市としての広島

1882年に安芸郡上瀬野村に設立された広島紡績所が広島における近代的工場のさきがけである。その後,紡績業は広島の主要産業となった。

第1次世界大戦後には,ゴム製品や製紙業の生産が急増した。また,金属機械工業も盛んになり,日本製鉄所が1920年に広島工場を発足し,兵器を生産した。その後,第二次世界大戦にかけて,重化学工業を含む大工場が建てられ,広島の主要産業は重化学工業へとうつっていった。戦後の工業都市広島の原型はこのときに生まれたといえる。

学都としての広島

学都広島のスタートは広島高等師範学校の設置からである。東京高等師範学校とならび,東西の教育の総本山と称されるようになった。この高等師範学校は後に広島文理科大学の母体となった。

その後,1920年に広島高等工業学校が設置され,県立女子専門学校,広島女学院専門学校などの高等教育機関が充実していった。

拠点都市としての広島

中四国地方を管轄する官庁や全国企業の支店を広島(市)に設置することが多く,都市としての拠点性も高まった。

また,県内企業の本店や本社も広島(市)に立地することが多く,広島にヒト・カネ・モノが集中するようになっていった。

被爆前の産業奨励館(現,原爆ドーム)
広島市公文書館所蔵(提供)

参考

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-9/

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-10/

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-11/

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