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国際平和拠点ひろしま

Hiroshima’s Reconstruction Vol.15広島の復興シリーズ Vol.15:インフラの復旧

1945年8月6日に広島に原子爆弾が投下されて75年。

原子爆弾により壊滅的な被害を受けた広島は,今日,国内外から「復興を成し遂げた街・平和を模索する都市」というアイデンティティが認知されています。

広島の復興の過程をとりまとめた「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻」を基に,広島の原子爆弾による被害からの復興を紹介します。

Vol.15では,「インフラの復旧」について紹介します。

インフラの復旧

原爆投下により壊滅的な被害を受けた広島では道路、鉄道、電力などの社会資本インフラの復旧が始められた。当初は、軍事・防衛、被災者支援、医療・衛生などの目的であったが、産業経済再建の基盤ともなっていた。

道路については、被爆後すぐに軍隊や警防団によって「市内の主要幹線道路の清掃・啓開」が行われた。鉄道は、原爆投下当日の8月6日午後には広島駅と西条駅(東広島市)の間で折り返し運転が行われた。復旧作業も早急に進められ、8月7日には広島駅と宇品港をつなぐ宇品線、8日は幹線の山陽線、9日には広島県北部地域をつなぐ芸備線が開通した。そして、8月18日には広島市郊外をつなぐ可部線が全線開通した。壊滅的な被害を被った市内路面電車も9日には一部区間(西天満町〜己斐)で片側運転が始められた。電力も原爆投下直後は広島市全域が停電となったが、被害が小さかった変電所を応急修理し、被爆翌日の7日には宇品方面、8日には広島駅周辺などへの送電が開始された。浄水場の被害は軽微であったが、市内中心部で送水管の破損による漏水が見られた。しかし断水することなく給水が続けられた。


参考

https://hiroshimaforpeace.com/fukkoheiwakenkyu/vol1/1-35/

 

被爆電車について

被爆しながらも復活した電車は、いつしか「被爆電車」と呼ばれるようになり、復興へと歩みだした広島の街を支えてきました。現在でも3両の被爆電車がこの街で走り続けています。被爆電車について紹介した記事もあわせてご覧ください。

相生橋の復旧工事。昭和21年撮影(所蔵/きしもと写真館・岸本坦、提供/広島市公文書館)

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広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐第1巻

広島県と広島市が連携して実施した「ひろしま復興・平和構築研究事業」の成果を「広島の復興経験を生かすために‐廃墟からの再生‐」として取りまとめました。

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