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国際平和拠点ひろしま

広島の復興と路面電車 「他都市の戦災車両」

復興を支えた被爆電車 第3回

   

   

     

1970年(昭和45年)ごろの架け替え前の相生橋(※1)と原爆ドーム (撮影/明田弘司)

    

    

被爆後の広島の復興を支え、今も現役で街を走る数々の被爆電車。同じように、他の都市にも戦争の惨禍を生き延びた電車があり、その車両が現在、広島の街を走っていることをご存じでしょうか。今回はそんな「広島を走る戦災車両」を紹介したいと思います。

    

    

大阪大空襲をくぐり抜けた「762号」

    

     

    

(撮影/加藤一孝)

      

     

 第二次世界大戦中、日本の多くの都市が爆撃の被害を受けました。西日本の経済と交通の中心地である大阪市も、B-29爆撃機による無差別爆撃にさらされました。1945年(昭和20年)3月から8月までの間に8回にもわたる大規模空襲を受け、大阪市市街地の大部分は消失し、1万人以上の市民が犠牲になりました。

 その大空襲を生き延びた一両が、現在広島の街を走る「762号」です。もとは散水車を改造した大型車「1581形」として1940年(昭和15年)に製造され、大阪市民の足として活躍しました。「1581形」は大空襲で被災し、復旧を果たした後の1965年(昭和40年)、同形の3両と共に大阪市交通局から広島電鉄に譲渡された際に「762号」と改番されました。

 茶色とクリーム色の2色に塗り分けられたカラーリングは、大阪市電時代の塗装を再現したものです。その後、同形の3両は廃車となりますが、「762号」のみは今も現役で走り続けています。

     

     

ドイツ・ハノーバーから送られた戦災車両

   

   

   

(撮影/加藤一孝)

     

    

ドイツのハノーバー市は、大阪市と同様に経済と交通の中心地であったため、第二次世界大戦中はアメリカ・イギリス連合軍による戦略爆撃の目標となりました。1940年(昭和15年)から終戦までの間に88回の爆撃にさらされ、およそ7000人の市民が犠牲になり、市街地の約6割が破壊されたといわれています。

 1983年(昭和58年)、広島市とハノーバー市は「戦争の惨禍を経験し、そこから復興した街」として姉妹都市提携を結びます。その後、提携5周年を迎えた際に、広島市から組み立て式の茶室が贈呈されました。その返礼として、ハノーバー市から「238号」が広島市を通して広島電鉄へ寄贈されたのです。

 現在では主に冬期に運用され、毎年12月には「クリスマス電車」として電飾が施されて、広島の冬の風景を彩っています。私たちの目を楽しませてくれるきらびやかに飾り付けられた車両にも、戦争の惨禍を乗り越えたという過去があったことに、思いを馳せてみてはいかがでしょう。

   

    

※1 相生橋は原爆投下の目標となった

    

    

この記事は下記の書籍を元に制作しました

    

    

     

制作協力:広島電鉄(2017年発刊)

価格:2500円+税

ISBN:978-4862505279

原爆投下のわずか3日後から、次々に運行を再開した広島の路面電車。”営業運行される歴史モニュメント”被爆電車の実録ビジュアル・ブック。

    

      

平和学習事業の紹介

広島の復興について知る:「広島の復興の歩み」

小冊子「広島の復興の歩み」では、路面電車の復旧の様子も含め、被爆後の広島がどのように復興したのか解説しています。

「広島の復興の歩み」

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